忘れっぽいな

メモを取れと会社では躾けられた。
当たり前と言えば当たり前、
人間は忘れるようにできているから。
手帳にはその時その時のメモが残っている。
その場で書いたものも、後から思い出して書いたものも。

接待のような場面でメモを取れない時は、
一生懸命記憶してトイレに行ったときなどに、
一気に手帳に書いたものだ。
それもできない時は、とにかく記憶に努めたものだ。
何年も前のことでもそれなりに覚えている。

我々一般人がそうしているように、
官僚も政治家も、相手が重要人物の場合ほど、
必ずどこかにメモをしているはずだ。
そうしない人たちは、
今のポジションには居ないはずだ。

「記憶にない」という言葉が溢れる昨今、
逃げ口上なのは誰の目にも明らかなのだが、
偽証せずに逃げ切る手段なのだろ。
だから始末に負えない。
お偉いさんたちの“忘れっぽさ”が目に余る。

こういう人たち、後年、忘れたはずの記憶が鮮明によみがえり、
回顧録などで詳細が明らかになるのだろう。
今から手帳を見ればよいのに。。。

「手帳見たら、読めないとでも、言うのかな」

ハードル高過ぎ

補助金や助成金は小さい会社ほど必要としている。
その小さい会社というものは(我社もそうだが)、
業務を細分化して分担できるような体制は取れない。
何でもかんでも社長や兼務多数の事務員がやらなければならない。
そこに煩雑な助成金の申請事務が加わる。

この申請事務、体験した当事者なので言わせてもらうが、
ハードルが高過ぎる!
記載する書類の多さ、記載内容の複雑さ、難解な解説等々、
まさに心が折れる。
これでは、最も必要としている小さな会社ほど、
助成金という救いの仕組みにリーチできない。
大企業には専門家や専門部署があり難なくリーチ。
何か変だよね。

そんなところに現れるのが申請の支援業者。
公的機関のようなネーミングだが、
これがまたくせ者が多い。
うごめく支援業者といったところか。
ここではこれ以上触れないが、良い業者は少ないと思う。

小さい会社がへんな業者を利用しなくても、
助成金を利用しやすくすることがだいじだ。
支給条件への合致のチェックに主眼を置きつつ、
申請自体は平易にすべきだ。
もちろんネットでの申請を可能に且つ使いやすく。
デジタル庁が音頭取ればできるでしょ。

「受けたくとも、ハードル高く、心折れ」

あれから10年

東日本大震災から10年経った。
電力不足の頃は計画停電があり、みんな節電に努めた。
日本全体が暗さを受け入れていた。
その頃の消灯癖は、私も習慣として残っている。

他にも避難準備の手順を確認したり、
水の買い置きは欠かさないようにしたり、
習慣付いたことはいくつかある。
あの大きな災害の結果は、
生活習慣の変化としてしっかり残った。

経験は後世に活かさなければいけない。
そうは言っても10年でだいぶ意識は薄れている気もする。
10年経ったということは大雑把に言って、
人口の十分の一は体験してない世代になったことになる。
幼少期の体験だったら体験してても記憶に残ってないかも知れない。
ならば6~7人に一人は“知らない世代”と言っていいだろう。

人は忘れる動物だ。
尚か且つ長いスパンでは人も入れ替わる。
そういう中では体験を伝えていくのは大変なことだ。
伝えるのではなく生活に沁み込ませる=習慣づける、
というのが一番の災害対策ではないだろうか。
理由は分からないけど、習慣づいているからこうするとか。

会社としても10年寄付を続けているが、
ある意味習慣のような意識だ。
もっともコロナ禍の苦境もあり、
続けはするが縮小せざるを得ない。
習慣化しても継続には意志も必要だ。

「キラキラより、多少の暗さが、いいもんだ」


かかりつけ

コロナワクチンの接種が始まり、
どうしようか悩んでいる人も多いかと思う。
私もその一人だ。
コロナは怖いが副反応も怖い。
安全だというが自分だけ何かあったらどうしよう。
半年後、1年後に副反応が出るんじゃないか、等々。

ワクチン接種が増えると開放感が広がり、
3密、大声、マスク無しと、
一気に増えるんじゃないかと危惧する。
そうだとするとワクチン接種は早く受けるべきか。
しばらく悩みは続きそうだ。

そのワクチン接種、かかりつけ医で受けられるとか何とか、
噂に聞こえてくるが結論は知らない。
その人の体の状態を一番把握しているかかりつけ医、
確かにそれがベストな選択のような気がする。
一方で、かかりつけ医が居ない人はどうしたものか。

ところでこのかかりつけ、
医者だけでなく、電気店、八百屋、床屋、服屋などにも欲しい。
その人その家特有の対応は量販店やネットショップにはできない。
先日、成長を記録してくれる写真館が紹介されていた。
まさに一生づき合いの“かかりつけ写真館”だ。
こういう風景が広がる世の中が、なんとなくやさしい。

「かかりつけ、流浪の身には、縁遠い」