チャンネルが無限


歳がバレそうだが、昔は地方では、
テレビのチャンネルは3つか4つだった。
そのうち2つはNHK関係(総合と教育)なので、
民放は1つか2つだ。
関東に出てきたときは、
民放が5つに増え、そりゃ嬉しかった。

テレビは電波を通じて情報を提供する。
BSが始まってからチャンネルが一気に増え、
選択肢が多過ぎて困るぐらいだろう。
ちなみに私はBSには入ってないので、
今のところ選択肢が多過ぎることはない。

そうこうしているうちに最近はネットTV。
こちらは電波の制限が全く無いので、
チャンネルが無限にあるのと一緒ではないか。
リアルタイム性を求めなければYouTubeなんて手もある。
スマホ世代はあまりテレビを見ないと聞く。
こういう世代の人たちにアプローチするには、
テレビよりネットTVの方が有効かもしれない。

考えてみれば電波は有限な資源、
電波を使わなければ難しいサービスでの利用を優先すべきだ。
ネットが普及してなかったこれまでは、
広く人々にアプローチする方法として、
電波の利用(=テレビ)は理に適ってた。
だが、ネットが自由に使えるようになった昨今では、
マス・コミュニカーションはネットに任せ、
電波はパーソナルなコミュニケーション手段へと、
割り当てるのが合理的かもしれない。

「画面流れ、叩いて直す、テレビかな」


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またJAFにお世話になった


車のバッテリーが上がってしまった。
ここのところ自動車を運転する機会が無く、
だいぶ放置してしまった結果だ。
ちょうど定期点検が近かったのでディーラーに言ったら、
JAFを呼べとつれない対応。

急ぐ話じゃなかったので、後日JAFに電話して来てもらった。
「神対応」という言葉が最近流行しているが、
まさにJAFの対応がこれに当てはまる。
お客様(と思ってるわけでは無いが)に対する気配りがすごい。
もはや“おもてなし”のレベルと言っても良いかも知れない。

私自身JAFは数回経験しているが、毎回感心させられる。
JAFの会員誌「JAFメイト」にも、
毎号、救援ストーリーとして載っており、
いつもその対応ぶりに感心しながら、
我がことのように読んでいる。

隊員の士気の高さといい、
救援対象者への気遣い心遣いといい、
もちろん対応の手際の良さといい、
まさにプロ集団とはこういうものかと思わせる。
ご本人の人間力は言うまでもないが、
相当に教育の質も高いのだろう。
教育は斯くあるべきというところか。

不運な事態に遭遇したが、
気持ち良い体験ができたことにほっこりした。

「プロサービス、アップしたいな、インスタへ」


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使わないほど貯まるポイント



いろいろなポイントが溢れている。
しょっちゅう使うポイントから、
一回カードを作ってからそれきりのポイントまで様々。
共通しているのは、お金を使た時に貯まること。

ポイントを付与する側は、
来て欲しい、買って欲しいということで、
消費に対してポイントを付与する。
要は付与する側のメリットを、ポイントで還元する感じだ。

では昨今の定額制(サブスクリプション)のサービスには、
ポイントはどう適用されるのが妥当だろうか。
単純に考えると、サービスを購入した時点での付与だが、
これではどうも芸がない。
“使わないこと”にポイントを付与してはどうか。
サービスを使わないことは、サービス提供者にとってはメリットだ。
例えば毎日使っても良いサービスを使わなかった日には、
使わなかったことに対しポイントを付与するとか。

私は以前、某スポーツジムの会員だったが、
行く頻度が減ったので解約した。
月に7~8回行けば元を取れるはずだったが、
週2~3回が月2~3回になり、やがてほとんど行かなくなった。
ジム側にとっては私が行かないことがメリットだったはずだ。
その分会員を増やせるはずだからだ。
行かない日にポイントが貯まれば、
もしかして解約しなかったかもしれない。

ビジネスモデルの種類により、
ポイントの付与方法もいろいろ有って良い。

「ポイントを、貯めたいばかりに、無駄遣い」


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お釣りの人生忘れがち

かつてブログで触れた“お釣りの人生”、
若い頃ちょっとした危ない体験をした私は、
今でもこの考え方を教訓としている。
が、人間、覚悟ができているようでそうでもない。
本来は、お釣りの人生と思えば何でもできるとか、
お釣りの人生と思えばどうってことない、となるはずだが。

忙しさにかまけて日々過ごしていると、
覚悟云々以前に、お釣りの人生だったことを忘れちゃう。
自分の人生がどうのこうのなんてことは、
頭の片隅にも出てこない。
結果として、楽な方、安易な方、安全な方に向かってしまう。

もっとも、もし頭の片隅に置いていたとしても、
立派な勇ましい判断ができるかどうかは自信がない。
弱い人間だし自分がかわいい。
しかしながら、“人のために”という要素が入れば、
そこそこは“何でもできる”気にはなる。
この先に手掛けたいソーシャルビジネスを通じて、
貢献したい人たちが待っていると思えば。

その活動を早く手掛けるためにも、
普段からもう少し思い切った行動をとらなきゃいけない。
お釣りの人生を再認識しようと思う。

「今更だが、お釣りの額が、気にはなる」


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最初の方しか読まない

メールでのやり取りはビジネスには欠かせないが、
送ったメールが数行になると、
後半の部分が見逃されることが多い。
そこに依頼事項や問い合わせを記載した場合、
確認や再依頼のために更なるメールのやり取りが必要になり、
2度手間3度手間になってしまう。

心なしか、若いビジネスマンとのやり取りの時が多いように思う。
SNSの影響、特にLINEの影響が大きいのか。
LINEやTwitterのようなチャット系の媒体は、
短文のやり取りを繰り返すコミュニケーションが前提で、
1回のやり取りで完結するのはむしろ例外なのかもしれない。
その文化でビジネスのeメールのやり取りを行う。

方や、ビジネスレターの時代を生きてきた人間、
基本的には1回のレターの中に、
全て誤解のないように盛り込むことを躾けられてきた。
その前提でeメールを使っている。
文化背景が違う二人が、同じ媒体で交信しているのだ。
なかなか噛み合わないし、お互いにストレスになっているはずだ。

冒頭の問題は、これである程度説明がつく。
何行にも渡る文章は、そもそも読まれないのだ。
そう理解して気を付けなければいけない。
それにしても、ビジネス的な事故は起きないのか、
よけいな心配はしてしまう。

「文末の、敬具の価値を、再認識」



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一生モノは良いことか


一昔前は、壊れないことは良いことだった。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自転車、等々何でもだ。
もちろん今でも良いことに違いない。
ただし、買う時に元々必要だったサービスや機能を満足する、
という意味では、だ。

壊れないモノを使い続ける間に、
機能が加わったり性能がアップしたモノが、
新しく出てきている可能性が有る。
しかも安価で且つランニングコストが安かったりする。
そういう新しいモノに触れる機会を失っている可能性が、
一方ではある。

壊れないモノを使い続ける結果、
新しい技術を享受できないことになる。
壊れないモノを使い続ける結果、
もしかして実質的に損をしていることも無きにしもあらずだ。
使い捨てや浪費・無駄遣いを擁護しているわけではないが、
せっかくの技術革新の恩恵を受けられないのも寂しい。

近年、シェアリングエコノミーなるものが脚光を浴びている。
買わなくて良いのだ。
“所有”しないので常に最新のモノを探して“使え”ばよい。
昔からあるレンタルサービスの幅が、
さらに広がり便利になった形態とも言えそうだが、
シェアリングエコノミーはそういう意味でも、
技術革新に加速度がついた昨今の必然か。

話を基に戻すと、
技術革新がゆっくりな頃は一生モノの価値は高かったが、
技術の進歩が速い時代には一生モノはそぐわないのかも。
そういう時代に生きて行く我々は、
買い替えに伴うリサイクルへの意識を高める一方、
シェアリングサービスを積極的に活用する賢さが
必要なのかも知れない。

「捨てられない、性分急に、変えられない」

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良い友を持つ人



良い人には良い友が多いというのが、
私のこれまでの経験則だ。
逆説的には、良い友が多くいる人は良い人、
ということになるがどうだろうか。

良い人の定義は人によって様々だろう。
私にとって良い人とは、誠意をもって向き合えば、
誠意をもって応えてくれる人かな。

良い人と友達になりたい。
たくさんの良い人と友達になれば、
結果的に良い友がさらに増えることになる。
だからたくさんの良い人と友達になりたい。

そうは言っても、人を見極めるなんて簡単なことではない。
良い友をたくさん持っているかが分かれば良いが、
お付き合いしてみなければ分からない。
できるだけたくさんの人とお付き合いをして、
結果的に良い人が見つかってくるのだろう。

公私に渡りたくさんの良い友に恵まれれば、
それほど幸せなことは無い。
今更ではあるが、そう思う。

「人を見る、実は自分が、見られてる」


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思いつくか考えるか


いくら考えても良いアイデアはそう簡単に出るものではない。
ところが、突然降ってくることがある。
一所懸命考えているわけでもない時に、
まさに空から降ってくる感覚、与えられる感覚だ。
このことは、以前「魔法の空間」と題してブログにも綴った。

降ってくるときはものすごい勢いでいろいろなことが頭に浮かぶ。
打ち合わせで発言すべきこと、
ビジネスアイデア、
お詫びの言い訳、
課題と思っていたことへの答えが一気に出てくる。
アルファー波ってやつのお陰ではないかと思う。

ただ、ちょっとした自己分析によると、
同じアルファー波環境でも、
決められたことへの準備、言い換えると方法論に近いことは、
集中して考えることで結構いろいろ答えが浮かんでくる。
これに対し、アイデアめいたものはいくら考えてもダメ。
思いつきを待つしかない。
待つしかないが、思いつきやすいことは確かだ。

アイデアは考えてもダメ。
だから私は思いつくことを大切にしている。
空から降ってくることをいつも願っている。
ふとした時に突然出てくるのが思いつきだが、
どれだけ深く、どれだけいつも考えているかが、
思いつきに結び付いているような気はする。

「アイデアは、頭たたけば、出るかもね」


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力の結集




会社同士が力を合わせて何かしようとする時、
どうしても人とお金が要る。
お金はともかくとして、人をどうするかが難しい問題だ。
特に小さい会社にとっては難問だ。

しかし考え方によっては、小さな会社同士も悪くない。
仮に10人集めるとすれば、
小さい会社はつまるところ、
社長や幹部が直接事にあたることになる。
結果として当事者の集まりの10人となる。
これは強力な10人だ。
モチベーションは負けない。

大きな会社同士なら、各社選抜した10人が集まる。
エースが選抜されてくれば良いが、
エースと称し二線級があてがわれているかも知れない。
同じ10人なら、小さな会社の10人の方が面白い。

今年は志の通ずる友社と、
Joint Venture を立ち上げたいと思っている。
数名の力を合わせることで、
単独ではできなかったことをやろうと思っている。
もちろん私を含めて、社長や幹部の集まりである。
ズッコケても、きっと楽しいだろう。

「意気高々、いやいや人が、居ないだけ」



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面白く聴くために

穏やかな年明けはいいもので、まったりとして2日が過ぎた。
数年前から恒例化したニューイヤーコンサート、
例年より日本人(と思しき)聴衆が多かったように見えた。
そのコンサート、今年はちょっとした課題をもって聴いてみた。
おかげで眠くならずに済んだ。

一つは、大型なレアーな楽器に注目すること。
特にチューバ、例年演奏機会が少なく気になっていた。
今年はどのくらい演奏機会があるかに注目してみた。
音感の無い私は音を聞き分けられないので、
目を離すことができず大変だった。
例年に比べて比較的出番が多かった気がし、
妙に報われた気分だった。

もう一つは、装飾用花壇の中に仕組まれたいたずらを探すこと。
ちょっとした遊び心で、目立たないいたずらが毎回仕掛けてあるという。
何が隠されているか分からないのでこれも大変だったが、
一つ見つけることができた。
ポルカ・フランセーズ「オペラの夕べ」の演奏中に映した花壇に、
ピンクのかわいい子ブタが忍ばせてあった。

その他、気がついたことは、
バレエがいつになくコミカルだったこと。
バレエというよりダンス的な要素が強かったように思うが、
振付師に若手を抜擢したとのことなのでその効果かも。
若い世代のノリを反映ということだろうか。
それならばバリアフリーの昨今、
車椅子のバレエが有っても良いのではと、ふと思った。

「年頭に、ウィンナ三昧、いいもんだ」


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できたこと・できなかったこと

2018年も早いもので残り僅か、
この1年、大小様々なことが有った。
いろいろなことに挑戦し、
できたことやできなかったことも様々。

できたことで大きなことと言えば、
一般派遣に切り替えが完了したことと、上場企業と初の直接取引。
前者は特定派遣業からの切り替えということで、
救済措置的な扱いでの切り替えだが、
切り替えられたことには違いはなく胸を張りたい。
後者は良き友のお陰であるところが大きい。

やったけどできなかったことは、
いくつかの挑戦的プロジェクトへの参画。
プロジェクトが流れたり事実上の門前払いに遭ったりで、
今年は結果が出なかったが来年も可能性を追いかける。

勉強になったこともある。人の使い方だ。
人は様々なバックグラウンドを持つ。
従い、人は一様ではなく、使い方には工夫が必要だ。
普通には使えない場合も、工夫すれば大きな戦力になり得る。
現在、うちの会社のど真ん中の事業は人を扱う事業、
もっと使い方を工夫しなければならないと実感した。

その他、人助けの相談に乗ったり、別の会社の役員を兼務したりと、
忙しさに拍車がかかった。
嬉しいことも有った。
うちの会社の仲間に加わってくれそうな人も現れた。
来年早い時期に何とかできないかと思っている。

今年初めに立てた目標が、
「並行して少しずつでも進めること」と、
「仲間との連携を深めること」だった。
その動きはしたつもりだが、成果は来年に持ち越しだ。

「目標を、立てた端から、忘れてる」


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浪花節は必要か



今の若いビジネスパーソンには、
浪花節と言っても意味が伝わらないかも知れない。
もはや死語に近いか。
もちろん私自身、浪花節をうなるわけではないが、
人間関係やビジネスシーンでは当たり前のように使う。
そもそも浪花節的なビジネススタイルと思っている。

人間関係はゼロかイチかで割り切れるものではない。
義理と人情のウェットな世界だ。
ビジネスの世界でも同様。
契約社会はドライでなきゃと言われることが多いが、
そんな中でのウェットさが救いとなることもある。

困っている相手は放ってはおけないし、
助けられた時には恩義を感じ、いつか報いようと思う。
助け助けられ、結び付きや絆が最後はものをいう。
長いスパンで考えると、ドライだけでは続かない。
ビジネスにこそ浪花節は必要だ。

性格的なものか、私はどうも情に弱い。
周りを見渡すと、こんな私をも応援してくれる人が居るし、
見放さない人が居る。
いつか何かの形で報いたいと思う。

「契約時、手心加え、損ばかり」


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成人式どうなる?

ちょっと気が早く、且つ数年先の話で、
尚且つ自分とは無関係ではあるが、
2022年4月1日に改正民法が施行され、18歳から成人となる。
これまでの慣例から考えると、
成人式はその年に18歳になる人が対象になる。

ならば、2022年1月の成人式はその年に20歳になる人が対象で、
2023年1月は法施行後なので、その年に18歳になる人が対象か。
では、2022年に18歳や19歳になる人はどうなる?
成人式はいつやるのだろう。パスか?
2023年に成人式を3年分まとめてやるのかな?
「はれの日」じゃないが、振り袖足りるのかな?

と余計(?)な心配をしながらネットを見てみたら、
やはり同じような疑問を持つ人はいるもので、
どうも3学年同時説が強いみたいだ。
3学年が一堂に会する成人式、イメージがわかないが、
上級生は恥ずかしい姿を見せられない。
多少は締った式になるかも知れない。

ちなみに、18歳成人は受験で成人式どころじゃない、
という意見も多いみたいだ。

「できるなら、成人式から(でも)、(人生)やり直し」…たい


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心配性の立場から

またAIネタで申し訳ないが、
心配でしょうがないことが有る。
まだ夜はぐっすり眠れているが…

その一つ、AIの学習内容の操作。
AIの判断は学習したデータの傾向次第(だと理解している)。
ならば、偽データをたくさん覚えさせれば、
判断を歪曲させることが可能なのでは?
今はやりのフェイクニュースよりたちが悪い。
犯罪やオピニオン誘導や世論操作にも繋がりかねない。

その二つ、自動運転世界は人様のやり放題。
自動運転は安全運転には欠かせない(と思う)。
全てが自動運転の車だったら心配無いが、そうは行かない、
自動運転と手動運転は当然混在する。
手動運転が危険な運転をした時、
自動運転は危険を察したら止まってくれるだろう。
それを良いことに、
自動運転が避けることを見越した“だろう運転”や
避けさせることを意図した悪質な運転が横行したら、
自己中の手動運転の天国になってしまう?

他にも、考えが及びもしないようなことが起きそうだ。
AIはあくまでもツール、それを使う側の人間次第ということか。
金田正太郎から奪われたリモコンで、
悪の手先になってしまう鉄人28号。
あのころから本質はあまり変わってないな。
と、あくまでも心配性の人間の勝手な心配。
そんなこと杞憂に過ぎないと言ってもらえたらありがたい。

「アレクサよ、ホントにAI、大丈夫?」


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緑茶に砂糖!?

もうだいぶ前になるが、香港だったか台湾だったか、
コンビニでお茶を買いホテルに戻ってひと口、
うぇーとなったことがある。
緑茶が甘いのだ。意表を突かれた。
現地の人に聞いたらこれが普通だと。
逆に甘くないお茶は少ないとか。

紅茶やコーヒーなら分かるが、
緑茶に砂糖はどう考えても無理。
違和感があるというより、そもそも考えられない。
最近行ってないが今はどうなのだろう。

ただしかし、別の角度から見るとおかしくもないかも。
スイーツ。
プリンやケーキやソフトクリームなど、
スイーツでは抹茶ブームらしい。
私も抹茶系は大好きだ。
プレーンかチョコか抹茶だったら抹茶を選ぶ。
(イチゴだったらちょっと迷うが…)
砂糖と抹茶は合うじゃないか!

これが緑茶飲料となると、なぜか許せない。
そりゃないだろう、となる。
元々甘いものに抹茶を加えるのはアリだが、
元々渋い緑茶に甘みを加えるのはダメだ。
まぁこれは好き好きの世界、どうでも良いか。

「そりゃないよ、利休が聞いたら、腰抜かすで」


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大パーティー

昨年から始めた会社設立記念のパーティー、
今年は11月18日が日曜日のため昨日実施した。
従業員やそれに近い形で協力してくれているみんなに、
御礼の意味と元気さを確認する意味を含めて、
気持ちだけは"盛大に"実施した。

今回は最初からカラオケルーム、
3時間なのでいっぱい歌うつもりだったが意外と消化不良、
選曲に駆け引きが働き過ぎたためか…と、
冷静になった今、分析している。

というのも、飛び入り参加の20代から60代まで年齢差約40歳。
違和感が無いように、知らず知らずのうちに、
若い年齢層に対する"忖度"が働いたかもしれない。
我ながら殊勝なところがある。
他のメンバーは十分発散できたことを願うばかりだ。

6名の小ぢんまりした"盛大な"パーティーだったが、
コミュニケーションという意味ではちょうど良いサイズ。
良いパーティーだったのではないかと思う。
万一(?)会社が大きくなっても、
小ぢんまりの集合であるべきだとも感じさせられた。

「歌い漏れ、来週どこかで、発散だ」

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みんなハイビーム


最近やけに自転車のライトが眩しく感じる。
歩行者の立場から言わせてもらうと、
あの明るさは異常だ。あまりにも眩しい。
まともに見てしまうと、目に光の残像が残ってしまう。
目に影響がないか心配になるくらいだ。

自動車より自転車の方が眩しく感じるのだが、
それは自転車が歩行者に近いところを走るからか。
自転車のライトにハイとローが有るのかどうかわからないが、
もし有るとしたら、ほとんどの自転車はハイビームのように思える。
安全のためだと言われれば返す言葉が無いが、
眩しいものは眩しい。

性能が上がりそれを活用するのは良いが、
周囲に与える影響への配慮も考えるべきではないか。
歯止めはどこなのだろう。
安全性と歩行者への配慮との天秤で、
安全性が勝ったということか。
それなら事故が減っているのだろうか。

私には過剰な明るさに思えてしょうがない。
作る側も、売れれば良いということでもなかろうに。
節度とか配慮とかいう言葉が、
空しく感じることが増えた今日この頃だ。

「便利さが、進む社会は、住みにくい」

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恩人と先生とメンター


過去の人生を振り返ると、
少年期の恩師は別として、
社会人になってからこれまで、
様々な人々に支えられてきた。
人に支えられるということはありがたいこと。
そういう人たちが周りにいたことは、
たいへん恵まれていると感じる。

その中でも特に無くてはならなかったのは、
恩人と先生とメンターとの出会いだ。
それぞれ当時、上司、上司、先輩だった方だ。
おかげで、ビジネスマンとしての基礎ができ、
今の私があると考えている。

折れかけた心を救ってくれたり、
ビジネスの在り方を教えてくれたり、
仕事への取り組みの手本を見せてくれたり。
節目節目で必要な出会いだったと改めて思う。

受けたご恩は後輩に返すという慣わしに従い、
会社こそ変ったが、できるだけ後進の行く先を
照らしてあげられたらと思う。

「ありがたい、こんなところに、すがる藁」

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ポンコツウェイ



○○ウェイ(way)、というやつが流行っている。
○○の部分が企業名だ。
まぁ、わからんでもない。
会社内での価値観の共有とかスローガンという主旨だろう。

我社というか私は、
ウェイと言うならポンコツウェイだ。
人間、完璧な人など居なく、
どこかが足りなかったり不完全だったりする。
そこがポンコツで、ポンコツだらけの私はその代表だ。

そのポンコツを活かしたい。
ポンコツの方が良い考えを出し、良いものを作ると信じている。
足りないから、足りない部分を知恵を出して補う。
だから良いもの、欲しいもの、便利なものができる。
これをサービス開発に活かしたいと思う。

ポンコツウェイで、立派な企業の○○ウェイを出し抜きたい。

「昔なら、お払い箱が、今は"価値"」


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何が正しいのか分からない


ニュースは真実を伝えていると確信していた。
ウィキペディアなどでは間違いはあるかも知れないが、
あくまでも間違いであって、情報としては頼りにしていた。
少なくとも今までは。
現在我々は、本当に真実の情報に触れているのだろうか。

ここ数年でSNSなどでの情報発信が簡単にできるようになり、
結果としてあらゆるレベルの情報が氾濫するようになった。
メールでもジャンクメールやなりすましメールが飛び交い、
サイバー空間の情報を簡単には信じられなくなってきている。
怖いのはそれが意図的に行われていることだ。

“フェイクニュース”という言葉が突然表に出てきた。
選挙における投票行動を誘導するためにも使われているという。
ニュースに限らず、人の心を乱したり、凶暴にしたり、
依存症にしたりするツールは、ネット経由で簡単にばら撒ける。
サイバー空間経由で何者かが、
意図的にゲームのような形でばら撒けば、
実空間での細菌兵器のような意味合いすら持ちかねない。

実際、日本人がどんどん壊れているような気がするし、
最近の政治家にモラル喪失気味の人が多いと感じるのも、
もしかしてサイバー空間から何か影響を受けてるのかもしれない。
某国の陰謀ではと、真面目に思うことがある。

「AIで、ネットの中を、掃除して」

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