思いつくか考えるか


いくら考えても良いアイデアはそう簡単に出るものではない。
ところが、突然降ってくることがある。
一所懸命考えているわけでもない時に、
まさに空から降ってくる感覚、与えられる感覚だ。
このことは、以前「魔法の空間」と題してブログにも綴った。

降ってくるときはものすごい勢いでいろいろなことが頭に浮かぶ。
打ち合わせで発言すべきこと、
ビジネスアイデア、
お詫びの言い訳、
課題と思っていたことへの答えが一気に出てくる。
アルファー波ってやつのお陰ではないかと思う。

ただ、ちょっとした自己分析によると、
同じアルファー波環境でも、
決められたことへの準備、言い換えると方法論に近いことは、
集中して考えることで結構いろいろ答えが浮かんでくる。
これに対し、アイデアめいたものはいくら考えてもダメ。
思いつきを待つしかない。
待つしかないが、思いつきやすいことは確かだ。

アイデアは考えてもダメ。
だから私は思いつくことを大切にしている。
空から降ってくることをいつも願っている。
ふとした時に突然出てくるのが思いつきだが、
どれだけ深く、どれだけいつも考えているかが、
思いつきに結び付いているような気はする。

「アイデアは、頭たたけば、出るかもね」


力の結集




会社同士が力を合わせて何かしようとする時、
どうしても人とお金が要る。
お金はともかくとして、人をどうするかが難しい問題だ。
特に小さい会社にとっては難問だ。

しかし考え方によっては、小さな会社同士も悪くない。
仮に10人集めるとすれば、
小さい会社はつまるところ、
社長や幹部が直接事にあたることになる。
結果として当事者の集まりの10人となる。
これは強力な10人だ。
モチベーションは負けない。

大きな会社同士なら、各社選抜した10人が集まる。
エースが選抜されてくれば良いが、
エースと称し二線級があてがわれているかも知れない。
同じ10人なら、小さな会社の10人の方が面白い。

今年は志の通ずる友社と、
Joint Venture を立ち上げたいと思っている。
数名の力を合わせることで、
単独ではできなかったことをやろうと思っている。
もちろん私を含めて、社長や幹部の集まりである。
ズッコケても、きっと楽しいだろう。

「意気高々、いやいや人が、居ないだけ」



面白く聴くために

穏やかな年明けはいいもので、まったりとして2日が過ぎた。
数年前から恒例化したニューイヤーコンサート、
例年より日本人(と思しき)聴衆が多かったように見えた。
そのコンサート、今年はちょっとした課題をもって聴いてみた。
おかげで眠くならずに済んだ。

一つは、大型なレアーな楽器に注目すること。
特にチューバ、例年演奏機会が少なく気になっていた。
今年はどのくらい演奏機会があるかに注目してみた。
音感の無い私は音を聞き分けられないので、
目を離すことができず大変だった。
例年に比べて比較的出番が多かった気がし、
妙に報われた気分だった。

もう一つは、装飾用花壇の中に仕組まれたいたずらを探すこと。
ちょっとした遊び心で、目立たないいたずらが毎回仕掛けてあるという。
何が隠されているか分からないのでこれも大変だったが、
一つ見つけることができた。
ポルカ・フランセーズ「オペラの夕べ」の演奏中に映した花壇に、
ピンクのかわいい子ブタが忍ばせてあった。

その他、気がついたことは、
バレエがいつになくコミカルだったこと。
バレエというよりダンス的な要素が強かったように思うが、
振付師に若手を抜擢したとのことなのでその効果かも。
若い世代のノリを反映ということだろうか。
それならばバリアフリーの昨今、
車椅子のバレエが有っても良いのではと、ふと思った。

「年頭に、ウィンナ三昧、いいもんだ」


できたこと・できなかったこと

2018年も早いもので残り僅か、
この1年、大小様々なことが有った。
いろいろなことに挑戦し、
できたことやできなかったことも様々。

できたことで大きなことと言えば、
一般派遣に切り替えが完了したことと、上場企業と初の直接取引。
前者は特定派遣業からの切り替えということで、
救済措置的な扱いでの切り替えだが、
切り替えられたことには違いはなく胸を張りたい。
後者は良き友のお陰であるところが大きい。

やったけどできなかったことは、
いくつかの挑戦的プロジェクトへの参画。
プロジェクトが流れたり事実上の門前払いに遭ったりで、
今年は結果が出なかったが来年も可能性を追いかける。

勉強になったこともある。人の使い方だ。
人は様々なバックグラウンドを持つ。
従い、人は一様ではなく、使い方には工夫が必要だ。
普通には使えない場合も、工夫すれば大きな戦力になり得る。
現在、うちの会社のど真ん中の事業は人を扱う事業、
もっと使い方を工夫しなければならないと実感した。

その他、人助けの相談に乗ったり、別の会社の役員を兼務したりと、
忙しさに拍車がかかった。
嬉しいことも有った。
うちの会社の仲間に加わってくれそうな人も現れた。
来年早い時期に何とかできないかと思っている。

今年初めに立てた目標が、
「並行して少しずつでも進めること」と、
「仲間との連携を深めること」だった。
その動きはしたつもりだが、成果は来年に持ち越しだ。

「目標を、立てた端から、忘れてる」


浪花節は必要か



今の若いビジネスパーソンには、
浪花節と言っても意味が伝わらないかも知れない。
もはや死語に近いか。
もちろん私自身、浪花節をうなるわけではないが、
人間関係やビジネスシーンでは当たり前のように使う。
そもそも浪花節的なビジネススタイルと思っている。

人間関係はゼロかイチかで割り切れるものではない。
義理と人情のウェットな世界だ。
ビジネスの世界でも同様。
契約社会はドライでなきゃと言われることが多いが、
そんな中でのウェットさが救いとなることもある。

困っている相手は放ってはおけないし、
助けられた時には恩義を感じ、いつか報いようと思う。
助け助けられ、結び付きや絆が最後はものをいう。
長いスパンで考えると、ドライだけでは続かない。
ビジネスにこそ浪花節は必要だ。

性格的なものか、私はどうも情に弱い。
周りを見渡すと、こんな私をも応援してくれる人が居るし、
見放さない人が居る。
いつか何かの形で報いたいと思う。

「契約時、手心加え、損ばかり」


成人式どうなる?

ちょっと気が早く、且つ数年先の話で、
尚且つ自分とは無関係ではあるが、
2022年4月1日に改正民法が施行され、18歳から成人となる。
これまでの慣例から考えると、
成人式はその年に18歳になる人が対象になる。

ならば、2022年1月の成人式はその年に20歳になる人が対象で、
2023年1月は法施行後なので、その年に18歳になる人が対象か。
では、2022年に18歳や19歳になる人はどうなる?
成人式はいつやるのだろう。パスか?
2023年に成人式を3年分まとめてやるのかな?
「はれの日」じゃないが、振り袖足りるのかな?

と余計(?)な心配をしながらネットを見てみたら、
やはり同じような疑問を持つ人はいるもので、
どうも3学年同時説が強いみたいだ。
3学年が一堂に会する成人式、イメージがわかないが、
上級生は恥ずかしい姿を見せられない。
多少は締った式になるかも知れない。

ちなみに、18歳成人は受験で成人式どころじゃない、
という意見も多いみたいだ。

「できるなら、成人式から(でも)、(人生)やり直し」…たい


心配性の立場から

またAIネタで申し訳ないが、
心配でしょうがないことが有る。
まだ夜はぐっすり眠れているが…

その一つ、AIの学習内容の操作。
AIの判断は学習したデータの傾向次第(だと理解している)。
ならば、偽データをたくさん覚えさせれば、
判断を歪曲させることが可能なのでは?
今はやりのフェイクニュースよりたちが悪い。
犯罪やオピニオン誘導や世論操作にも繋がりかねない。

その二つ、自動運転世界は人様のやり放題。
自動運転は安全運転には欠かせない(と思う)。
全てが自動運転の車だったら心配無いが、そうは行かない、
自動運転と手動運転は当然混在する。
手動運転が危険な運転をした時、
自動運転は危険を察したら止まってくれるだろう。
それを良いことに、
自動運転が避けることを見越した“だろう運転”や
避けさせることを意図した悪質な運転が横行したら、
自己中の手動運転の天国になってしまう?

他にも、考えが及びもしないようなことが起きそうだ。
AIはあくまでもツール、それを使う側の人間次第ということか。
金田正太郎から奪われたリモコンで、
悪の手先になってしまう鉄人28号。
あのころから本質はあまり変わってないな。
と、あくまでも心配性の人間の勝手な心配。
そんなこと杞憂に過ぎないと言ってもらえたらありがたい。

「アレクサよ、ホントにAI、大丈夫?」


緑茶に砂糖!?

もうだいぶ前になるが、香港だったか台湾だったか、
コンビニでお茶を買いホテルに戻ってひと口、
うぇーとなったことがある。
緑茶が甘いのだ。意表を突かれた。
現地の人に聞いたらこれが普通だと。
逆に甘くないお茶は少ないとか。

紅茶やコーヒーなら分かるが、
緑茶に砂糖はどう考えても無理。
違和感があるというより、そもそも考えられない。
最近行ってないが今はどうなのだろう。

ただしかし、別の角度から見るとおかしくもないかも。
スイーツ。
プリンやケーキやソフトクリームなど、
スイーツでは抹茶ブームらしい。
私も抹茶系は大好きだ。
プレーンかチョコか抹茶だったら抹茶を選ぶ。
(イチゴだったらちょっと迷うが…)
砂糖と抹茶は合うじゃないか!

これが緑茶飲料となると、なぜか許せない。
そりゃないだろう、となる。
元々甘いものに抹茶を加えるのはアリだが、
元々渋い緑茶に甘みを加えるのはダメだ。
まぁこれは好き好きの世界、どうでも良いか。

「そりゃないよ、利休が聞いたら、腰抜かすで」


大パーティー

昨年から始めた会社設立記念のパーティー、
今年は11月18日が日曜日のため昨日実施した。
従業員やそれに近い形で協力してくれているみんなに、
御礼の意味と元気さを確認する意味を含めて、
気持ちだけは"盛大に"実施した。

今回は最初からカラオケルーム、
3時間なのでいっぱい歌うつもりだったが意外と消化不良、
選曲に駆け引きが働き過ぎたためか…と、
冷静になった今、分析している。

というのも、飛び入り参加の20代から60代まで年齢差約40歳。
違和感が無いように、知らず知らずのうちに、
若い年齢層に対する"忖度"が働いたかもしれない。
我ながら殊勝なところがある。
他のメンバーは十分発散できたことを願うばかりだ。

6名の小ぢんまりした"盛大な"パーティーだったが、
コミュニケーションという意味ではちょうど良いサイズ。
良いパーティーだったのではないかと思う。
万一(?)会社が大きくなっても、
小ぢんまりの集合であるべきだとも感じさせられた。

「歌い漏れ、来週どこかで、発散だ」

みんなハイビーム


最近やけに自転車のライトが眩しく感じる。
歩行者の立場から言わせてもらうと、
あの明るさは異常だ。あまりにも眩しい。
まともに見てしまうと、目に光の残像が残ってしまう。
目に影響がないか心配になるくらいだ。

自動車より自転車の方が眩しく感じるのだが、
それは自転車が歩行者に近いところを走るからか。
自転車のライトにハイとローが有るのかどうかわからないが、
もし有るとしたら、ほとんどの自転車はハイビームのように思える。
安全のためだと言われれば返す言葉が無いが、
眩しいものは眩しい。

性能が上がりそれを活用するのは良いが、
周囲に与える影響への配慮も考えるべきではないか。
歯止めはどこなのだろう。
安全性と歩行者への配慮との天秤で、
安全性が勝ったということか。
それなら事故が減っているのだろうか。

私には過剰な明るさに思えてしょうがない。
作る側も、売れれば良いということでもなかろうに。
節度とか配慮とかいう言葉が、
空しく感じることが増えた今日この頃だ。

「便利さが、進む社会は、住みにくい」

恩人と先生とメンター


過去の人生を振り返ると、
少年期の恩師は別として、
社会人になってからこれまで、
様々な人々に支えられてきた。
人に支えられるということはありがたいこと。
そういう人たちが周りにいたことは、
たいへん恵まれていると感じる。

その中でも特に無くてはならなかったのは、
恩人と先生とメンターとの出会いだ。
それぞれ当時、上司、上司、先輩だった方だ。
おかげで、ビジネスマンとしての基礎ができ、
今の私があると考えている。

折れかけた心を救ってくれたり、
ビジネスの在り方を教えてくれたり、
仕事への取り組みの手本を見せてくれたり。
節目節目で必要な出会いだったと改めて思う。

受けたご恩は後輩に返すという慣わしに従い、
会社こそ変ったが、できるだけ後進の行く先を
照らしてあげられたらと思う。

「ありがたい、こんなところに、すがる藁」

ポンコツウェイ



○○ウェイ(way)、というやつが流行っている。
○○の部分が企業名だ。
まぁ、わからんでもない。
会社内での価値観の共有とかスローガンという主旨だろう。

我社というか私は、
ウェイと言うならポンコツウェイだ。
人間、完璧な人など居なく、
どこかが足りなかったり不完全だったりする。
そこがポンコツで、ポンコツだらけの私はその代表だ。

そのポンコツを活かしたい。
ポンコツの方が良い考えを出し、良いものを作ると信じている。
足りないから、足りない部分を知恵を出して補う。
だから良いもの、欲しいもの、便利なものができる。
これをサービス開発に活かしたいと思う。

ポンコツウェイで、立派な企業の○○ウェイを出し抜きたい。

「昔なら、お払い箱が、今は"価値"」


何が正しいのか分からない


ニュースは真実を伝えていると確信していた。
ウィキペディアなどでは間違いはあるかも知れないが、
あくまでも間違いであって、情報としては頼りにしていた。
少なくとも今までは。
現在我々は、本当に真実の情報に触れているのだろうか。

ここ数年でSNSなどでの情報発信が簡単にできるようになり、
結果としてあらゆるレベルの情報が氾濫するようになった。
メールでもジャンクメールやなりすましメールが飛び交い、
サイバー空間の情報を簡単には信じられなくなってきている。
怖いのはそれが意図的に行われていることだ。

“フェイクニュース”という言葉が突然表に出てきた。
選挙における投票行動を誘導するためにも使われているという。
ニュースに限らず、人の心を乱したり、凶暴にしたり、
依存症にしたりするツールは、ネット経由で簡単にばら撒ける。
サイバー空間経由で何者かが、
意図的にゲームのような形でばら撒けば、
実空間での細菌兵器のような意味合いすら持ちかねない。

実際、日本人がどんどん壊れているような気がするし、
最近の政治家にモラル喪失気味の人が多いと感じるのも、
もしかしてサイバー空間から何か影響を受けてるのかもしれない。
某国の陰謀ではと、真面目に思うことがある。

「AIで、ネットの中を、掃除して」

何故を考えることは人任せ

機械学習した結果、一番確率が高いことを教えてくれるが、
何故かは教えてくれない。
AIの欠点とも言われている。
何故かがわからないというところに、
AIが与えてくれる答にはどうしても不安を感じる。

ただ、チェスや将棋や囲碁では、
既に人間はAIに敵わなくなっているのが現実だ。
その現実を受け止めた上で、
囲碁の世界では割り切って使っているようだ。
AIはヒントを与えてくれるものであり、
棋士は何故そうなるかを考えるという。
どうもそこにAIの使い方のヒントがありそうだ。

昔から教育の場では、答を求めるのでなく何故を考えろと、
耳にタコができるほど言われてきた。
何故を考えることが大切ならばAIから答(ヒント)をもらうことは、
あながち思考力を退化させるものではないような気がする。
人があまり考えることをしなくなった昨今、
考えざるを得ない場面を与えてくれるものなのかもしれない。

何故かがわからなかった場合どうするか。
これはケースバイケースだろう。
命がかかわるとか、急を要するとか、
非常に悩ましい場合にどうするかだ。
AIに運命を託すことになるのかも。

人間の仕事を奪うと警戒されることも有るAIだが、
「答」を与えて一番大事な「何故」を人間に考えさせる、
あながち悪いツールではないかもしれない。

「アレクサよ、代わりにブログ、書いてくれ」


「う」に点々

カタカナの「ウ」には、濁音の表現がある。
「ヴ」だ。
パソコンをいじっていていつも不思議に思っていた。
キーボードのVとUでヴが出るが、決して「う」に点々は出ない。
試しにF6を押してもヴのままだ。

50音のどれを取ってもこういう例は「ヴ」だけだ。
たぶん英語のVを表現するために作ったのじゃないかと、
ネットで調べたら案の定、外来語の表現のためらしい。
外来語なのでカタカナ表現は有るがひらがなは無しと、
説得力があるような無いような。

と思っていたら、驚いたことに、「ゔ」もあるとのこと。
JIS X 0213で採用されたとか。
いったい何に使うのだろう。
しかも、どうやってキーボードから「ゔ」を出すのか、
“どうやっても”わからない。

ちなみに、「あ」に点々も驚いた表現などで見かける。
見かけるが、やはりキーボードでは出せないし、
ネットでもまともな解説は出てない。
もし「あ」に点々が有ったとして、
カタカナの「ア」に点々は有るのか無いのか。
私見だが、発音できないから無いのではないかと思う。
変なことに気になる今日この頃である。

「ところでさ、点はいいけど、丸はどう?」



まず面白いと思うことから

会社をやっているといろいろある。
聞いた途端にやだなと思うこともしょっちゅう。
会社をやっているからでなく、
人生そのものがそんなものだろうと思う。
順風満帆なんてことはほとんど無い。

これは受け止め方を変えなければやってられないと、
始めたのが、タイトルにある「まず面白いと思うこと」。
面白くなくても面白いと思うことだ。(高杉晋作みたいだが…)
これは結構無理しないといけない。
顔をしかめたくなるようなことも、
面白いと思わなければいけないからだ。

考えてみれば、人生全てが順調で何も無かったら、
たぶん面白くなかろう。(反論もあるだろうが…)
問題や不都合は、解決に向けたチャレンジの機会だ。
考え工夫し、根性や粘りを鍛えるチャンスだ。
何も無いより面白いはずだ。
そう思うようにしている。(時々心が折れるが…)

今のところ“無理して”思うようにしている状態だが、
やがて本気で面白いと思えるようになれると信じている。
まぁ後々経験値となって、
本当に良かったな、面白かったなと、
思えることもあるだろう。(今のところあまり無いが…)

「ウソこくな、無風がいいに、決まってら」


信頼感



人材を扱う仕事に関わっていて感じるが、
デリケートな仕事の割に、
責任感ある営業さんが思ったより少ないように感じる。
リスクを減らすためには、信頼できる営業さんを
見つけることが重要になる。

営業担当者(個人)の信頼感だけでなく、
会社の信頼感ももちろん大事だが、
やはり直接かかわる営業担当者の信頼感がより重要だと思う。
トラブル発生時には営業担当者の立ち振る舞いが決め手になる。

その見極めは非常に難しい。
パートナー開拓ではせいぜい一時間の面談、
この一時間で良し悪しを見極めることはほぼ不可能。
リトマス試験紙が有るわけでない。
その後のやり取りで判断して行くことになるが、
見極めできぬまま何度か痛い目にも遭った。
人を見る目の無さを恥じるしかない。

見方を変えれば、私自身も常に評価されているということ。
自らも信頼に足るパートナーであることが重要だ。
どうしたら信頼感を醸し出せるか、
付き合って感じてもらうしかないかも知れないが、
こういうブログでの発信も一助になれば良いと思う。

「トラブルが、起きた時ほど、丁寧に」


置き換わるんじゃないか



勝手なことを言わせてもらうと、
スマホはどう見ても未完成品に思える。
危険、中毒、という言葉が切り離せないことを考えると、
どう見ても未完成品だ。
ポッチャンした時の耐水性もしかりだ。

それが生活インフラ化して、
今やQRコードなどでの決済手段にもなろうとしている。
既に証明書に相当するものまで入り始めている。
マイナンバーなどが入るのも時間の問題だろう。

SNSがコミュニケーションインフラ化し始めているが、
フェイクニュースの問題などで揺れている。
危ないと思えば使わなくすればよいと思うのだが、
スマホとの連動性が強く、対策は簡単ではないようだ。
スマホが悪いのかSNSが悪いのか、鶏と卵の関係かもしれないが、
スマホがなければSNSはここまで広がらなかっただろう。

スマホが社会の不安に直結する諸問題の素因であることは、
否定できないような気がする。
そうだととすれば、罪は大きい。
早いうちに置き換えるイノベーションを期待したいが、
それまでは残念ながら便利で手放せない。

「未完成?、そんならお前、作ってみろ!」
もう一丁、
「あほ抜かせ、作れないから、言えるんじゃ」


初心忘れないで


ネットショッピングやゴルフ等でお世話になるのが宅急便。
私も大変お世話になっている口だ。
今は当たり前になったが、画期的なアイデアサービスだと思う。
特に外出が困難な困っている人には欠かせない。
良い点は数え上げれば切りがない。

ちょうど雑誌で特集が組まれていた。
宅配クライシスとも言うべき状況の特集だ。
多少批判的な論調には思い当たるところがある。
某老舗大手の配達が指定の時間を大幅に越えたことがあった。
5分や10分ならまだしも40分、遅いですねの一言を言ったところ、
「1時間以内ですから!」と、
権利と言わんばかりの口調で言い返された。
んっ、何か変だぞと違和感を感じつつも、
「そうですか」と引き下がった。

サービスグレードが落ちたのは事実、
そこへの申し訳なさが先に来ないのかな。
サービスの提供者としての教育が追いついていないのかも知れない。
このまま手を打たないと、
ボディーブローのように、あるいはシロアリのように、
だんだん屋台骨を揺るがすようになるんじゃないかと心配になる。
支持者は一度失うとなかなか返ってこない。
奢れるものは久しからずだ。

それにしても、どう考えても便利過ぎる。
過剰サービスが過剰要求を呼んだのか、
その逆かも知れないが、便利過ぎる。
私の「遅いですね」発言も、便利さへの甘えか。
反省、反省。
サービス開発を自ら行なった便利の仕掛人の、
初心は忘れないで欲しい。

「きりがない、段ボールの山、またできた」


不思議な数秒



妙な体験をした。
一瞬、ほんの数秒だが、不思議な幸せな感覚を覚えた。
一瞬の幸せ感、それも突然やってきた。
駅から自宅への帰り道だった。
何とも言えない幸せ感に包まれたのだ。
確かに瞬間的に感じた。

その日に何か特別に良いことがあったわけではない。
普通の嬉しさとは違う。
美味しいものを食べた時や、
応援していたチームが勝った時とか、
そういうのとはまた違う。
力がふっと抜けるような、他の満足感とは比較できない。

説明のしようがない感覚的なことなので、
ブログにするのはちょっと躊躇した。
文章にすることで感覚を思い出せるのではとの期待もあり、
また、記憶(記録)にとどめておきたい気持ちも手伝って、
敢えてブログにしてみた。
読んでも伝わらないかも知れないがご容赦を。

人生の満足感として求めるものは、
もしかしてそういう気持ちかも知れない。
幸せな気持ちになれることが幸せなのかもしれない。
数秒でも味わえたのは幸せだ。

「夢だろか、違うな多分、ボケだろう」