ワクチン予約

ワクチン予約案内がついに来た。
連休明けから予約可能とのことで、
モノは試しとネットにてトライした。
案の定、PCからもスマホ・タブレットからもつながらない。
ITベンチャーの立場上、電話はダサいので試してない。

ニュースでやっていたが、
お年寄りのためにお助け隊が予約代行をしてくれるとか。
頼むんだったら女子大生がいいなと、
余計なことが頭をよぎり、頼みたい誘惑にかられながらも、
自力で何とかしようとしばし沈思黙考。
そして閃いた!

翌朝早めの時間(6時半頃だったか)にトライ。
すると、二日目にしてつながったではないか。
なぜ早朝を選んだか。
早朝はお助け隊や孫が一番苦手な時間と考えた。
当然若い連中が多いだろうから、
彼らが苦手な時間は早朝に違いないと。

ところで案内状によると、
確認も変更もできることになっている。
試しに確認しようとすると、これがまたつながらない。
予約と同じように、確認や変更でのアクセスができないのだ。
ちなみに、早朝ではまだ試してない。

これは仕様がまずいだろう。
予約確認や変更を優先的につなげないと、
都合が悪くなった場合に無駄が生じる原因となる。
我社に仕様策定を任せてくれていたら、
もっとしっかりしたシステムにしたのに~。

「こんな時、頼りになるのは、郵送か」

ってどう思う

今はネットで何でも調べられる時代。
ちょっとしたことで人に聞くには気が引ける。
だからもっぱらネットに教えてもらい、
そこからの情報が知識として蓄積される。
ただし必ずしも正しいとは限らないので、
間違った情報が蓄積される可能性はある。

単なる調べ事ならネットは確かに便利だ。
ただ一方で、人に聞いたり議論したりする場合はそうはいかない。
会話をすることで、多様な見方や考え方、
理解の仕方などが参考になる。
ネットで意見や考え方を問うなど、
使いこなしている達人もいるようだが少数派だろう。

まだまだ生の会話に一日の長があると思いたい。
話すことによる脳の刺激とか、
キャッチボール的な会話によるアイデアの広がりとか、
ネットでは得られないものが人との会話にはある。

オンライン環境が主流になりつつある今、
「ってどう思う」をどう担保するかは結構重要なポイントだ。
Zoomでもカバーしきれないが、
そうかと言って出社は避けろとのご時世。
なんとかICTの力で解決して欲しいものである。

「なんじゃこれ、参加者一同、まっ黒け」

体制強化

前々から課題だった経営体制の強化。
BCP(事業継続計画)も考慮してのことだ。
コロナ禍もあり何が起きるか分からないので、
できるだけ急ぎたいと思っていた。

支援機関に経営戦略面の相談もしてみたが、
親身になってくれるわけでもなし。
やはり良きアドバイザーは身内に持つしかない。
大先輩に取締役就任をお願いし快諾を得た。
結局、4月1日付で就任してもらい、
その後、登記も済ませた。

他の仕事もお持ちで兼務ということもあり、
非常勤&テレワーク原則でお願いしている。
オンラインが当たり前になってきたので、
大きな支障はないと思う。

実際、相談相手を得てみると心強い。
一人では持て余していた課題にさっそく取り組みたい。
会社の目的は延命ではないので、
リスクを取ってでも素早く行動する必要がある。
そのために、まずは会社の強みを再定義し、
事業の方向性や進め方を見直すことから始める。

非常勤という名目とは裏腹に、
結果的にどっぷり漬かってもらうかも知れないが、
その分“莫大な”報酬でお返ししたい。
業績が上がったらとの条件付きではあるが…

「年齢層、二極化進む、我社かな」

ネットの問題

ネットは便利だが問題が多い。
セキュリティ面の問題ばかりでなく、
誹謗中傷やバイトテロなどの悪ふざけ、更には闇サイトなど。
以前、セキュリティ面については触れたことがあり、
セキュリティ対策の義務化予想などを述べた。

そのセキュリティについては、イタチごっこの感は有るが、
セキュリティーソフトなどで防御ができるだけまだ良い。
一方、誹謗中傷は始末が悪い。
投稿が自由である一方で自身を隠せる。
暗闇で石を投げられるようなものだ。

自由とは規律が伴って初めて成り立つものだが、
自身を隠せるので規律は本人任せだ。
この誹謗中傷から守る方法はなんとも心許ない。
人海戦術によるネット監視は限界があるし、
AIによる監視もまだまだだ。

誰もが自由に情報発信できる世の中になった今、
この動きは更に進めども後戻りはしないだろう。
だが問題は実際に起きており深刻だ。
そういうネット中で、悪意のある自由から身を守る手段は、
いったい何だろうか。

「ネット内、愛がダメなら、AIだ」

コロナ明けの心配事

第4波なのか、コロナが収まる気配が無い。
どこもかしこもコロナ対策で精一杯の状況だ。
我社もマスクや消毒液から始め、
アクリル板の設置などを行なっている。
アクリル板はなかなか手に入らず、
オンラインショップでオーダーしてから、
確か2~3ヶ月かかったように記憶している。

収まるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
だが、やがては収束するはずだ。
収束してもしばらくは、消毒や飛沫防止対策は続けるのだろう。
ワクチン接種が進み治療薬ができ、
コロナに打ち勝ったと自信が持てる頃になって初めて、
徐々に元の生活様式に戻っていくのだろう。

その頃になると、ありがたかったアクリル板も、
もはや邪魔者になる可能性が強い。
保管するにも場所を取るため、
廃棄処分にされる可能性が強そうだ。
人間てまぁ勝手なもんだがしょうがない。

廃棄が一気に進むと大量廃棄ということになり、
問題となりそうだ。
ならば今のうちから、
転用やリサイクル方法を考えておくべきではないか。
コロナから守ってくれた大切な存在、
間違っても環境破壊につながるような末路にはさせたくない。

「アクリルの、第二の人生、考えて」


会社の目的

目的を説明できるか。
会社を始めた当初は、これを説明できずに困った。
はっきり説明できるようになったのは、
ここ数年と言ってよい。

自身や会社の存在意義、社会への貢献方法、
更に背伸びしないでできること、
などなどを考え合わせてたどり着いた。
自分の考えだけに凝り固まるのではなく、
広くヒントを求めることで参考になったことも多い。

ただその過程において、
目的と手段や必要環境とを混同した時期もある。
ともすると手段が目的になりそうになったり、
良い事業環境を得ることを目的化しそうになったり、
ブレそうになったことはある。

時間と共に固めて行った会社の目的、
その目的も、時と共に変わっていくことは恐れない。
会社の規模や世の中の動向などに合わせることも必要だ。
求められる会社像に整合させて行くことも大切に思う。
まぁその前に、屋台骨をしっかりしなければ、
目的どころではなくなってしまう。

「目的はと、問われ黙考、云年間」


忘れっぽいな

メモを取れと会社では躾けられた。
当たり前と言えば当たり前、
人間は忘れるようにできているから。
手帳にはその時その時のメモが残っている。
その場で書いたものも、後から思い出して書いたものも。

接待のような場面でメモを取れない時は、
一生懸命記憶してトイレに行ったときなどに、
一気に手帳に書いたものだ。
それもできない時は、とにかく記憶に努めたものだ。
何年も前のことでもそれなりに覚えている。

我々一般人がそうしているように、
官僚も政治家も、相手が重要人物の場合ほど、
必ずどこかにメモをしているはずだ。
そうしない人たちは、
今のポジションには居ないはずだ。

「記憶にない」という言葉が溢れる昨今、
逃げ口上なのは誰の目にも明らかなのだが、
偽証せずに逃げ切る手段なのだろ。
だから始末に負えない。
お偉いさんたちの“忘れっぽさ”が目に余る。

こういう人たち、後年、忘れたはずの記憶が鮮明によみがえり、
回顧録などで詳細が明らかになるのだろう。
今から手帳を見ればよいのに。。。

「手帳見たら、読めないとでも、言うのかな」

ハードル高過ぎ

補助金や助成金は小さい会社ほど必要としている。
その小さい会社というものは(我社もそうだが)、
業務を細分化して分担できるような体制は取れない。
何でもかんでも社長や兼務多数の事務員がやらなければならない。
そこに煩雑な助成金の申請事務が加わる。

この申請事務、体験した当事者なので言わせてもらうが、
ハードルが高過ぎる!
記載する書類の多さ、記載内容の複雑さ、難解な解説等々、
まさに心が折れる。
これでは、最も必要としている小さな会社ほど、
助成金という救いの仕組みにリーチできない。
大企業には専門家や専門部署があり難なくリーチ。
何か変だよね。

そんなところに現れるのが申請の支援業者。
公的機関のようなネーミングだが、
これがまたくせ者が多い。
うごめく支援業者といったところか。
ここではこれ以上触れないが、良い業者は少ないと思う。

小さい会社がへんな業者を利用しなくても、
助成金を利用しやすくすることがだいじだ。
支給条件への合致のチェックに主眼を置きつつ、
申請自体は平易にすべきだ。
もちろんネットでの申請を可能に且つ使いやすく。
デジタル庁が音頭取ればできるでしょ。

「受けたくとも、ハードル高く、心折れ」

あれから10年

東日本大震災から10年経った。
電力不足の頃は計画停電があり、みんな節電に努めた。
日本全体が暗さを受け入れていた。
その頃の消灯癖は、私も習慣として残っている。

他にも避難準備の手順を確認したり、
水の買い置きは欠かさないようにしたり、
習慣付いたことはいくつかある。
あの大きな災害の結果は、
生活習慣の変化としてしっかり残った。

経験は後世に活かさなければいけない。
そうは言っても10年でだいぶ意識は薄れている気もする。
10年経ったということは大雑把に言って、
人口の十分の一は体験してない世代になったことになる。
幼少期の体験だったら体験してても記憶に残ってないかも知れない。
ならば6~7人に一人は“知らない世代”と言っていいだろう。

人は忘れる動物だ。
尚か且つ長いスパンでは人も入れ替わる。
そういう中では体験を伝えていくのは大変なことだ。
伝えるのではなく生活に沁み込ませる=習慣づける、
というのが一番の災害対策ではないだろうか。
理由は分からないけど、習慣づいているからこうするとか。

会社としても10年寄付を続けているが、
ある意味習慣のような意識だ。
もっともコロナ禍の苦境もあり、
続けはするが縮小せざるを得ない。
習慣化しても継続には意志も必要だ。

「キラキラより、多少の暗さが、いいもんだ」


かかりつけ

コロナワクチンの接種が始まり、
どうしようか悩んでいる人も多いかと思う。
私もその一人だ。
コロナは怖いが副反応も怖い。
安全だというが自分だけ何かあったらどうしよう。
半年後、1年後に副反応が出るんじゃないか、等々。

ワクチン接種が増えると開放感が広がり、
3密、大声、マスク無しと、
一気に増えるんじゃないかと危惧する。
そうだとするとワクチン接種は早く受けるべきか。
しばらく悩みは続きそうだ。

そのワクチン接種、かかりつけ医で受けられるとか何とか、
噂に聞こえてくるが結論は知らない。
その人の体の状態を一番把握しているかかりつけ医、
確かにそれがベストな選択のような気がする。
一方で、かかりつけ医が居ない人はどうしたものか。

ところでこのかかりつけ、
医者だけでなく、電気店、八百屋、床屋、服屋などにも欲しい。
その人その家特有の対応は量販店やネットショップにはできない。
先日、成長を記録してくれる写真館が紹介されていた。
まさに一生づき合いの“かかりつけ写真館”だ。
こういう風景が広がる世の中が、なんとなくやさしい。

「かかりつけ、流浪の身には、縁遠い」


営業トーク

仕事柄、他社の営業とのメールのやり取りが多い。
30歳前後だろうか若い営業が、
やたら“御座います”や“存じます”を使う。
私などはくすぐったくて使いづらい。

そうかと思えば、言葉がとげとげしいことも多い。
やんわりとオブラートに包むことなく感情むき出しの表現。
メールなので丁寧に書こうと思えばできるはずだが、
どうもLINEやツイッターの短文の習慣からか、
言葉の殴り合いのように感じることも多い。

何回かのやり取りで誤解が解けることも多いが、
人間そう簡単ではない。
心象を悪くしたり人間性としての印象が心に残る。
強烈で印象が悪いほど、誤解が解けたとしてもイメージとして残る。
存じますや御座いますも良いが、
相手の気持ちを考えた文を使う訓練が疎かになってやしないか。

文言の訓練でもう一点、“土台に乗る”という言葉。
土俵の間違いか、あるいはテーブルの間違いか、
しょっちゅう見かけるので、最近はこういう言い方があるのかもと、
ネットを調べてみたこともある。
もちろん、無かった!

先輩の営業職から教わったのかも知れないが、
変な日本語を教わって可哀そうだ。
だが、これが頻繁に使われるとやがて市民権を得て、
正式な日本語に加えられることになるかも知れない。
言葉は生き物なので。

「何よりも、気持ちがだいじと、存じます」


4次元

最近、コラムだったか何かで読んだが、
人間だけが時間を認識できるらしい。
動物が本当に時間を認識できないのか、
前世がネコやイヌだった方が居たら是非教えて欲しい。
多少なりとも認識してそうな気がしないでもない。

時間といえば4次元目は時間軸だろうと言われている。
我々はコントロールこそできないが、
4次元というものの存在を自覚している。
3次元以下を理解できる我々は、
2次元の平面の連続(積み重ね)が3次元になることを知っている。
その応用として考えると、
時間は一刻一刻過ぎて消えてしまっているように感じるが、
実は前後に連続して存在しており見えてないだけということになる。

平面と平面の間を渡り歩けば、
2次元の存在が空間を飛び越えることになる。
だったら3次元の存在(人間)だって、
時間を飛び越えることができるのではないか。
それはまさしくタイムマシンの世界だ。

飛び越える方向によって、未来でも過去でも行けそうだ。
どちらかを選ぶとすれば、私の場合、絶対過去に行きたい。
消したい過去が山ほどあるが、消しに行けないので、
できるだけ忘れることにしている。

「4次元で、時間忘れて、寝てみたい」


ちくしょうめっ!

某公益法人に出向いて、事業に関する相談に行ってきた。
中小企業に寄り添って、親身にアドバイスしてくれるとのことで、
かなり期待して臨んだ。

名刺の渡し方が片手で配るような感じで、
冒頭からちょっと違和感を感じた。
まぁ気を取り直してと、用意したレジュメをアクリル板の窓から渡すと、
触りもせずに遠くから眺めるような感じ。
それでも気を取り直して一通り説明した。

そこからコメントが始まったのだが、完全な上から目線。
この辺りで少々切れ気味の私だったが、
そこは同行してくれた支援者の手前、押さえて押さえて。
記載事項や質問には全て否定(と言っても過言でない)。
こちとらもう半分諦め、時間の無駄を意識。
いつの間にか、前かがみから背もたれにのけ反る形に。

早く帰したい的な対応で終始するかと思いきや、
最後になって、相談員が開いている事務所で支援可能だとか。
なんだ、ここを言いたいための手順かよ!
確かに後でネットで調べたら、何とかいう事務所を開いてた。
もちろんこんな方の事務所にお世話になる気はさらさら無い。

それにしても、小さな会社の気の弱い社長なら、
二度と行くまいと思ってしまうだろう。
私も同じ「小さな会社の気の弱い社長」ではあるが、
負けずに別のところにも当たってみようかと思う。
でもやっぱり優しくアドバイスしてくれる人がいいな。

「相談に、あの態度って、ありなのか」


何でもスマホの中

ちょっと前に書いたが、電子マネーが財布を不要にした。
その電子マネーはスマホをピッで済むが、
ポイントを付与してもらうためカードを出す必要がある。
手に荷物を抱えていると、このカードの出し入れが面倒だ。
先日もファミマでまさにその場面。
店員にちょっと待ってもらって面倒そうな顔をすると、
「ポイント、スマホ、スマホ」と盛んに言う。
もしかしてスマホに入るってか?

さっそくネットで調べたら、有った!
スマホに入るんだ。
ちょっと手こずったが何とかスマホに入れ、ポイントも移した。
考えてみれば、できないはずはない。
ただ、それを中国人の店員のソンさんに教えられたこと、
それがちょっぴりショックだ。

更にお薬手帳もスマホに入るらしい。
先日病院に行って薬を処方され薬局へ行った。
お薬手帳は持ってこなかったのでシールをもらった。
そこに新しいお客さんが来て、
お薬手帳を要求されたらなんとスマホを出した!
お薬手帳もスマホに入るんだ!

ネットで調べると確かにお薬手帳のスマホアプリがある。
次の機会までに入れておこうと思う。
何でもかんでもスマホだ。

気になるのは、使える人と使えない人の格差、Digital divide だ。
恩恵の有無のみならず、損得や生活水準にも影響しかねない。
DXの前にファンダメンタルな部分にも目を配るべきだ。

「外人に、ニッポン男児が、教えこう」



前回のブログが“ななめ”だったので、今回は“横”。
なんてことではないが本題。

我社には上から目線という文化は無い(と思う)。
有るとすれば「横から目線」だ。
横目で見るという意味ではない。
対等な立場からの目線(視点)を指す。
そういう言い方があるならだが。

そう思って、言葉として存在するかとググってみたら、
何と既に有るではないか。知らなかった。
「相手の特性や立場を理解したうえで、
同じ視点から対話するコミュニケーションスタイル」とある。

我社では、議論の場も、コーヒーを淹れるのも、掃除も、
今のところ全て対等だ。
会社が大きくなってきたらそうも行かなくなるかも知れないから、
“今のところ“としておくが。

実際、人の意見は大変参考になる。
生きている環境が違えば視点も当然違う。価値観も違う。
その背景の違いを活かせば何か生まれそうだ。
サービス開発を柱にしようとしている我社にとって、
横から目線は必然なのかも知れない。

「寒いギャク、横から刺す目は、白い目だ」


ななめ

ある日、会議室のテーブルを斜めにしてみた。
うちの会社に来た人は、何も言わないけど何か変だと
感じているんじゃないかと思う。
もうかれこれ2~3年は続けていると思う。

会議スペースが絶対的に狭く、
普通の発想ではダメなのでやってみようとの挑戦だ。
テーブルは四角なので四方が一律に中途半端に狭いより、
狭い部分は極端に狭くなるが、多少でも広い部分が生まれる。
狭い部分は使わずに、少しでも広い部分を有効活用すればよい。
そう考える方が建設的だ。

最初は若干ずらす程度だったが、
並行とあまり大差が無く効果も少なかった。
かなり斜め度を大きくしてみると、
これがわりかし使いやすく広く見えるから不思議だ。
やってみるもんだ。

考えてみれば、良い部分を伸ばすのは人も物も同じかも知れない、
などと妙に納得したりもする。
ただ、人数が多くなると、どうやっても解決できない。
正直なところ、もっと広々とした場所で仕事ができたらいいなとは思う。

「真似したい、“やってみなはれ” を、当社でも」

彩雲

先日の曇りの日、テレワークの合間に土手道を散歩中、
向こう側からおばちゃんが来る。
やはり散歩のようだが、すれ違う人に何か話しかけている。
飴ちゃんをあげると言われたらどうしよう、
ここは大阪ではないけど…などと思っているうちに、
ついにおばちゃんが話しかけてきた。

おばちゃん …「あれ見てっ。」
私 …「えっ、何ですか?」
おばちゃん …「あれ、彩雲!」
私 …「んっ、どこ? 彩雲って?」
おばちゃん …「あれよっ、薄いけど虹みたいな雲!」
私 …「へぇ~」

実際のところよくは分からなかったが、
何となく太陽の周りの雲が虹のような色になってたような。
後からネットで調べてみると、
縁起が良いらしく、いいことがあるかも知れないそうだ。
そうだとしたら、見たのは彩雲に間違いないはずだ、
と思うことに決めた!

絶対にいいことが起きるはずだと信じてるが、
今のところまだ起きてはいない。
若干の兆しは有るような無いような、いつ起きてくれるのだろうか。
これは神頼みなのか雲頼みなのか…

それにしてもご縁とは面白いもの、
飴ちゃんこそもらえなかったが、このおばちゃんと出会わなかったら、
一生彩雲を知らないで終わったかもしれない。

「おばちゃんて、うっとうしいだけじゃ、ないみたい」…新発見!


通信料金値下げを遅らせて

このコロナ禍で露呈した日本のIT後進国ぶり。
給付金、助成金の支給遅れ、
保健所の電話・FAXによる人海戦術、
書類のハンコのための出社、
等々、数え上げたらきりがない。

他国との比較で気になるのはオンライン授業の低実施率だ。
オンライン環境が無い家庭も多く、
公平性を担保するためにオンライン授業が出来なかったとも聞く。
ちょっと前までIT技術を誇らしげに自慢していたはずじゃ。

オンライン環境構築に必要な主なものは、
端末代とWiFi環境+通信費だろう。
こんなもの、政府に頼らず民間でどうにかできないか。
十分な利益を上げている会社ならできそうなものだ。

そう考えて頭に浮かぶのは通信事業者。
ガースーさんが通信料金引き下げだ!と息まいている。
通信事業者は権力の言うことは聞くもので、
どうも大幅な値下げをするらしい。
各社1,000億円の減収として(実際はこの倍以上?)、
3社で数千億円規模の減収を飲むらしい。

この通信料金値下げ、1年間遅らせる代わりに、
数千億円を使ってオンライン授業ができない家庭への
支援に充てさせたらよい。
通信事業者にとっては面目躍如の社会貢献になるではないか。
国難(世界難)における協力体制だ。
何ならその分をあとで減税措置等で還元すればよい。

降って沸いた料金値下げ、
我々だって一年ぐらい遅れたって我慢できるだろう。

「ハヤブサを、飛ばす日本が、このざまだ」


ここで一旦一呼吸

今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、
無観客ながら例年通り行われ、
手拍子こそ無かったがラデツキーで幕を閉じた。
元日はゆったり過ごさせてもらったが、
年末から何かとバタバタしてブログ開始が遅れてしまった。

さて今年、NICCOというNGOを通じての寄付が丸10年目となる。
始めたきっかけは東日本大震災。
この大災害が起きた時代にたまたま生きている自分、
何かしなければいけないと思って始めた。
2014年からは法人賛助会員に立場を変えて続けている。

10年目の今年、昨年からコロナという別の災禍に見舞われ、
今回は自分(我社)も当事者になっている。
正直なところ経営的に非常に厳しい状況に置かれている。
会社の体力を削がれている中では、
少しでも出費は押さえなければいけない。

というわけで、経営判断と言ったら大げさだが、
10年になるこの機会にNICCOへの寄付額を見直すことにした。
ノーブレスオブリージュの精神で、寄付は続けるつもりだ。
だが額は今の身の丈に合わせざるを得ない。
一呼吸置くのも悪いことではないと言い聞かせたい。

早く会社の足腰を丈夫にして、
もっと支援活動や貢献活動を広げられるようにしたい。

「少しだが、気持ちを込めて、続けたい」


1年を振り返る時期だ

多少のでこぼこはあるが、
これまで地道に売り上げを伸ばしてきた我社、
今年ばかりは1歩進んで2歩下がった気分だ。
原因はもちろん新型コロナの影響。
今期は後期(1月~6月)に奇跡が起きない限り、
大幅ダウンは避けられない。

あえて光を見出すとすれば、それは事業展開!
事業展開は半歩進んで後退は0歩。
このコロナ禍で踏ん切りがつき、
これまで温めていたことを実行に移す半歩を踏み出した。

この半歩が1歩につながるかは分からない。
分からないが、半歩出なければいつまで経っても1歩にならない。
何年か先に今年の半歩が大きな歩みにつながっていれば、
今年のコロナ禍は我社にとってはコロナ福になる。

それを目指して体制強化を図ろうとしているが、
こちらはなかなか思うようにいかない。
越年でチャレンジを続ける。

「まいったな、今こそ体質、変える時」