文才は女性?



直木賞候補が全員女性だとか。
芥川賞候補も女性の方が多いらしい。
文才もなく読書量も多くない私にはよく分からないが、
オトコの一人として何となく寂しい。

文学の世界はよく分からないが、
私が好きなコラムやエッセイの世界では、
女性の文章は非常に分かりやすい。
文章が分かりやすいからか、
その視点や感性に感心させられることが多い。
すなわち理解しやすい

文学作品でもスッと読める本と、
難解で同じ行を何度も行き来する本がある。
直木賞の対象は大衆小説らしいので、
分かりやすい方が有利のような気がする。
そうだとしたら、女性が有利なのかもしれない。

話題が飛ぶがついでに一言、
文学と言えば、ボブ・ディランがノーベル賞をとる時代、
ブログにも何か賞ができないかな。
一つ一つでは短すぎるので継続的なブログ群でも良い。
賞が欲しいわけではないが、ちょっとは励みになる。

「ブログでも、続けりゃそのうち、何か有る!?」


プログラミングの必修化

2020年度から小学校でのプログラミングが必修になるそうだ。
IT社会はソフトウェアが制す時代、それなりに納得はできる。
納得はできるが、ソフトウェアというくくりから考えると、
ちょっと物足りない。

ソフトウェア開発の上流工程(何をどう作るかの部分)は、
基本的には言語(プログラミング言語)にあまり依存しない。
何を作ろうとするか(要求定義)や仕様を決めた後に、
大まかな動作概要を決め(概要設計)、
そこから詳細設計を経て製造(コーディング)に移る。
乱暴な言い方をすれば、言語の知識が必要となるのは、
詳細設計以降の工程(下流工程)からだ。

人がしゃべる言葉(言語)に置き換えてみると良い。
英語が得意でない人は英語を喋れる人をすごいと思う。
英語が喋れるのはすごいことかもしれないが、
だからと言って人格が優れていたり仕事ができるかは別である。
それは英語が喋れることとはあまり関係ない。
もし関係あったら、アメリカ人やイギリス人など英語圏の人たちは、
全員すごい人になってしまう。

言語は(言葉でもプログラミング言語でも)ツールであって、
ツールを使って“やろうとすること”が大事である。
言葉であれば話す内容であり、
ソフトウェアであれば解決しようとすることやその仕様である。
そこを勘違いしないような教育にして欲しいと思う。

言語自体はもちろん大事だ。
話す方では、英語が自由に使えたらもっと世界は広がるだろうし、
ソフトウェア開発では、言語力は生産性や品質に直結する。
ただし、あくまでもツールだということを忘れないことだ。
どちらも大成しなかった私がうんちくを言うのは、
負け犬の遠吠えではあるが。

「この私、得意は日本語、アセンブラ」

突然の足止め


一昨日の土曜日、会社に用事があり、
大手町から日本橋方面に向かい永代通りを歩いていると、
突然交通規制に遭遇。
交差点の四隅に警察官が何人か詰め、
信号も赤になったまま変わる気配がない。

以前、何かのデモ行進に遭遇した際、
警官が信号機を操作し、長いデモの列が渡り終わるまで、
信号機を青にし続けたことを経験していたので、
今回も同じようなことかと思った。

それにしてはデモらしき列はどこにも見当たらない。
そうこうしているうちに右手の日比谷方面から、
白バイに先導された黒塗りの車が数台見えた。
んんっこれはと思っているうちに近づいてきて、
一瞬、中の女性(後部座席左側)が笑顔で手を振っているのが見えた。

もしや天皇ご夫妻!?
案の定、お昼のニュースで、
天皇夫妻が新幹線で名古屋を訪問されたことを伝えていた。
あの場面を振り返ると、
一瞬だったが確かに見えた皇后様の笑顔。
自然で非常に印象的な笑顔だった。

かつて辛い時期を過ごされたはずだが、
そこからは想像もできない自然な笑顔だった。
何かが吹っ切れたのかもしれない。
これからを期待させられる笑顔に一瞬でも出逢えたのは、
偶然の足止めとはいえ、何か良いことの前触れにも思える。
我社も辛いこと、大変なことは多いけど、
笑顔は忘れまいぞと。

「お妃の、笑顔に触れて、親近感」

一喜一祝

「一喜一憂」に関しての記述は3度目になる。
今回はちょっと趣向を変えて「一喜一祝」。

会社経営をする限り、一喜一憂は永久に続くと観念した。
憂いが無くなってからなどと考えると、
喜ぶタイミングを逃してしまう。
それならば、いつ喜べばよいか。
良いことが有ったらすぐ喜んじゃえばよい。
これが、これまでの経験で学んだことだ。

喜ぶのは形にしなければ意味が無い。
形にできるのはお祝いだ。
会社としてのお祝いでも、自分でプチ祝いでも、
何でも祝った方が勝ちだ。
ある時点で「喜」なら、その時点で祝っちゃえばよい。

憂は考えないことにしようと一喜〇憂という言葉も考えたが、
憂の方が圧倒的に多いし考えないことは性格上無理だ。
ならば一喜一祝しかない。
喜んだ対象が結果としてポシャった場合、
それはそれでしょうがない。(良くあることだが…)
せっかっくの喜べるタイミングを大切にしたい。

「どうしよう、お祝い中に、憂報来た」

コンテンツ画面刷新



当社運用サイトのぬくもりひろば。
2013年暮れに開設したこのサイトは、開設以来一貫して、
アバター付の画面でコンテンツを提供してきた。
これを連休明けに刷新し、
アバター無しのシンプルなコンテンツ画面に変更した。
いろいろな事情が重なってのことだ。
アバターが出ないので寂しいかなと心配したが、
意外と見やすく中身に集中できるようになった気がする。

今回の刷新で、費用面ではかなり低減が図れた。
メリットとして更に大きいのは、
コンテンツをアップする際の労力が大幅に軽減できることだ。
結果、時間と費用をコンテンツの追加に回しやすくなる。
アバターというサービスにこだわらなければ、
これだけメリットが得られるということだ。
コンテンツの中身にこだわれば良いと割り切った。

ぬくもりひろばはソーシャルサイトという扱いだ。
当社のビジネスには直接結びついてはいない。
しかし、役割はそれなりに果たしている(と思う)。
サイトの理念として、人の心に少しはゆとりを持ってもらう。
更に、運用会社としてのクリーバルのイメージに結びつけてもらう。
そして、ネットサービスの運用というものを、会社として経験する。

会社のイメージを持ってもらうという役割は、
特に大切にしたいと思う。
できれば協賛企業でも出てきてくれれば、
スポンサー代をコンテンツ拡充に再投資できるのだが。

「ミィちゃんは、アバターやめても、MCだよ」


ベクトル合わせ



今月から新たなスタッフを迎えた。
エンジニアとしての豊富な経験を持つ2名、
将来の受託や自主開発に向けても期待は大きい。
価値観を共有できそうな良いメンバーの集まりだと思う。
一方で、多様性と言う意味では、
あまりに同質過ぎないことも重要かもしれない。
遠慮しないで意見や知恵を出してくれそうな感じで、
非常に頼もしく思っている。

まだまだ小さな所帯だが、
いろいろなことができる可能性は間違いなく広がった。
会社を形作る仲間になって欲しいという思いを伝えた。
それには、雇用という一方的な会社目線ではなく、
会社を好きになってもらわなければならない。
好きになる努力と好きになってもらう努力、
この双方の努力が欠かせない。

ここまでの会社の成長は、正直予定通りとは言えない状況、
当面は出稼ぎをお願いせざるを得ない。
ただ、個々にやることは違っていても、
大きな方向感=ベクトルは合わせられるはず。
ベクトルは合わせてもらうだけでなく、
私が合わさなければならない場面も多いと思う。
むしろ新しい分野ほど、社員や従業員の提案に対し、
社長が合わせることが必要かもしれない。

まずは情報の展開、常日頃の意識合わせ、意思決定の徹底、
そして、みんなで目標を共有したい。
ベクトルを合わせた上で、
会社の発展と共に事業の内容ややり方を変えていく。
それと共に、各自の役割も変わっていく。
そんな姿が描けたらと思っている。

「ピラミッド、早く底辺、広げなきゃ」


さてどちらで書くか



令和になったが、まだ元号を書く場面が無い。
どちらで書くかと悩むかと思い、
ネットで「令」ともう一つを見ようとすると、
何と、「令」しか出てこない。
冷蔵庫の「冷」もこちらしか出てこない。
「ひとやね(?)にマ」と書く、よく馴染んだ“れい”が、
ネットで見る限り出てこないのだ。

いやー、びっくりした。今初めて気が付いた。
令和となったおかげで、一つの発見だ。
だとしたら、これからパソコンやスマホでは悩む必要はない。
悩むとすれば手書きの時だけだが、
“入力”か“筆記”かで違うのも何か変だ。
結局、「令和」と書くのだろうと思う。

ところで、令和発表の直前の3月下旬は、
文字予想でたいへんにぎわった。
私も1文字だけ予想し「和」が当たった。
本命ではなかったが、対抗として挙げたものだ。
祝電や祝メールをいただくことを期待したが、
残念ながら反応は皆無。
自分で自分を褒めてやるだけとなった。

「ツラユキが、万葉集に、ヤキモチか」

嬉しいような嬉しくないような


長い長いゴールデンウィークに入った。
マスコミがやたらにぎやかなことを除けば、
昨日今日はいつもの土日とそう大して変わらない。
明日からがどういう感じになるのか。

今回はただ長いだけではない。
天皇の退位と即位というイベントが途中に入る。
少なくともこの2日間のテレビや新聞の対応は違うだろう。
それだけなら実質的な影響はほとんど無いかも知れないが、
生活に直結する巷の商業活動などがどうなるのか、
実際にこの日になってみないとわからない。

更に、その後の5日間がどうなるのか見当もつかない。
もし何らかの影響が出てくるとすれば、
この来週の後半辺りからかも知れない。
生活上、何も影響が出ないことを祈るばかりだ。

個人的に心配なのは株式市場が動かないこと。
僅かではあるが投資している身であるので、
この激動の時代に丸一週間以上市場が動かないのは、
大きな不安材料だ。まさに嬉しくない一面だ。

今までできなかったことをやるには良い機会で、
こちらは嬉しい一面だ。
でも終わってみれば何もできなかった、、、
とならないようにせねば。

「続くより、ばらける方が、うれしいね」

困ること

夜遅めの時間が特にすごいのだが、
到着駅の階段を駆け下りるスピードがものすごい。
私も多少は急ぎたいが、足がおぼつかなくなるのが怖いので、
あまり急がないようにしている。

速い人は風林火山の風以上の疾風の如く、
ダーッと音を立てて行っちゃう感じだ。
中には2段3段飛びで降りて行く強者もいる。
いつか怪我するぞっと心の中で思っているが、
なかなかどうしてそうはならない。
むしろ、どうなるかを見ながら降りるこちらの方が、
足を踏み外しそうになったりして危なっかしい。

バスやタクシーのつなぎがある駅ではないのに、
なぜそんなに急ぐのだろうか。
ゆっくり降りている人をあまり見かけない。
ゆっくりしていると、急ぐ人の邪魔になりそうで、
申し訳なく思う心があるからか。
私も邪魔になりたくないし、のろまなヤツと思われたくない。
確かにそういう気持ちで急ぐこともある。

そのため、前を行く人がそこそこのスピードだと、
ついて行けば流れに乗っている感が有るので安心だ。
あまりゆっくりでなく、いい感じのスピードの人を探すのだが、
遅い時間はほとんどが“ダーッ”タイプだ。
「階段ぐらいゆっくりしましょうや」と思いながらも、
今夜も周りに合わせている私がいる。

「階段で、走る方向、下りのみ」


スマホ決済

ペイ〇〇だの、〇〇ペイだのという、
決済サービスの普及が目覚ましい。
キャッシュレスの手段として便利なことこの上ない。
電子決済が当たり前になると、
当然現金は使わなくなるので持たなくなる。
現に最近の若者は現金を持たない人が多いと聞く。

便利過ぎるものへの怖さを考えてしまう私は、
もし使えなくなったらどうするんだと心配になる。
いろいろなことが原因になり得る。
大規模停電のような電力トラブルや災害、
黒点の活動も原因と成り得るそうだ。
あるいはコンピューターダウンやハッカー等のシステム側の問題、
いろいろな被害は電気・電子社会では経験しているはずだ。

何でも電子化は果たして良いのかどうか。
便利な状態が当たり前になり過ぎると、
いざ使えなくなった場合に大混乱になる。
使えなくなった場合にどうするかを担保する
セーフティネットが無いと、大変心配だ。

問題が起きることを前提とした対応の仕組みづくりか、
問題が起きないように、二重三重のバックアップ手段を
用意しておくかだ。
後者はコストの問題が大きいので、
人の知恵が活かせる前者が先だろうとは思う。

「何とかペイ、自慢じゃないが、未経験」


ロボットを使いたい

テレノイドやオリヒメ(OriHime)、
人を助けるツールとして既に活躍し始めている。
いずれもロボットというカテゴリーのようだが、
全自動で勝手に動き回ってというものではなく、
人間のできない部分を補うのが役割だ。

テレノイドを知ったのはもう相当前だ。
介護の場での活用を想定しているという。
オバQを細く小さくしたような赤ん坊のような感じで、
カメラとマイクを搭載しているが自律的にはしゃべらない。
介護職員が遠隔でPCなどから話をする。
このロボットのすごいところは、操作する職員がロボットの中に
入り込んだような感覚になる(意識・感情注入?)ところだ。
要は離れた場所から親身に話し相手になってあげられる。

オリヒメは最近あちこちで取り上げられている。
こちらも遠隔操作タイプで、カメラやマイクに加え、
いくつかの簡単な動作ができるようになっており表現力に富む。
台車に載せれば動くこともできるので、用途もわりと自由度がある。
実際に体の不自由な人や外出ができない人が、
在宅で仕事をする手段として活用しているということだ。

私はオリヒメは当然すごいと思うが、
テレノイドの考え方にすごく感心した。
意識・感情注入ができるという感覚が、ストンと腑に落ちた。
ただ、何かに使えるはずだと思いつつも、
今の仕事の周りには残念ながらまだ見つかってない。

一方のオリヒメ。
これは人材活用のツールとして使ってみたいと思う。
これを使えば、“外出しずらい”というハンディを克服できる。
我社の範疇ならSEの分身などに適している。
SEはお客さんと話して、要望を聞き出して、一緒に考え、
提案できる力が必要だ。
オリヒメならほとんどハンディにはならないはずだ。
そういうことができる人たちに活躍の場を与えてあげたい。

テレノイドもオリヒメも、人がワープできる手段、
なんと素晴らしいことか。

「ワープする、手段手にすりゃ、バリア無し」


新元号


改元を控えて世間が何やら騒がしい。
4月1日の新元号発表の前に、予想を試みる向きがあちこちに。
特にネット内がすごいらしい。
毎日使っているものが突然変わるのだから、
確かに気にはなる。

平成の時は最初は多少違和感が有ったが、
比較的早く馴染んだ気がする。
昭和は想像でしかないが、
その前の大正に比べ字が難しく、
馴染むのに時間がかかったのではないかと思う。

万一の期待を込めて、ここは予想しない手はない。
とは言え、2文字が当たることはまずあり得ない。
期待を込めて1文字を挙げてみるとする。
私は以下の3つが頭に浮かぶ。
「立」、「和」、そして「昌」。
本命が「立」、対抗が「和」、「昌」は大穴だ。
当たらなければ意味がないので、理由は置いておく。

この予想、当たってどうなるわけではないが、
もし当たったら、ちょっとした自慢ぐらいはできるかも。
しかも有効期限は相当に長そうだ。
新しい元号と共に、我社は11期に入って行くことになる。

「改元と、遭遇するのは、(さすがに)最後かな?」


目の付けどころ



今回は雑誌からの話題。
メルカリが途上国を狙っているという。
キーワードはスマホとのこと。

パソコンとスマホの関係を遡ると、
技術の発展と共に使うものも進化してきた歴史がある。
パソコンはスタンドアローンから始まり、
ネットで繋がることで価値が飛躍的に増した。
移動通信が普及すると共に、
モバイルパソコンの需要が高まり小型軽量化が進んだ。
ところがスマホの登場で状況が一変。
今やスマホにとって替わられようとしている。

徐々に発展してきた国は技術の普及も段階を踏む。、
しかし、このプロセスは途上国には当てはまらない。
途中が無いから一番便利なものに一気に行く。
通信環境は固定通信を飛ばしていきなり移動通信。
したがって、パソコンなんて持たずとも、
スマホがあれば良い。最初からスマホだ。
まさに後発のメリットだ。

メルカリは途上国のここに目をつけた。
通信手段、ネットアクセス手段がみんなスマホ、
スマホを入り口にしたサービスが絶対的に有利との見立てだ。
理屈は確かにその通りなので、あとは結果(業績)がどうでるかだ。
興味津々である。

「期待して、株買ったけど、塩漬けだ」

チャンネルが無限


歳がバレそうだが、昔は地方では、
テレビのチャンネルは3つか4つだった。
そのうち2つはNHK関係(総合と教育)なので、
民放は1つか2つだ。
関東に出てきたときは、
民放が5つに増え、そりゃ嬉しかった。

テレビは電波を通じて情報を提供する。
BSが始まってからチャンネルが一気に増え、
選択肢が多過ぎて困るぐらいだろう。
ちなみに私はBSには入ってないので、
今のところ選択肢が多過ぎることはない。

そうこうしているうちに最近はネットTV。
こちらは電波の制限が全く無いので、
チャンネルが無限にあるのと一緒ではないか。
リアルタイム性を求めなければYouTubeなんて手もある。
スマホ世代はあまりテレビを見ないと聞く。
こういう世代の人たちにアプローチするには、
テレビよりネットTVの方が有効かもしれない。

考えてみれば電波は有限な資源、
電波を使わなければ難しいサービスでの利用を優先すべきだ。
ネットが普及してなかったこれまでは、
広く人々にアプローチする方法として、
電波の利用(=テレビ)は理に適ってた。
だが、ネットが自由に使えるようになった昨今では、
マス・コミュニカーションはネットに任せ、
電波はパーソナルなコミュニケーション手段へと、
割り当てるのが合理的かもしれない。

「画面流れ、叩いて直す、テレビかな」


またJAFにお世話になった


車のバッテリーが上がってしまった。
ここのところ自動車を運転する機会が無く、
だいぶ放置してしまった結果だ。
ちょうど定期点検が近かったのでディーラーに言ったら、
JAFを呼べとつれない対応。

急ぐ話じゃなかったので、後日JAFに電話して来てもらった。
「神対応」という言葉が最近流行しているが、
まさにJAFの対応がこれに当てはまる。
お客様(と思ってるわけでは無いが)に対する気配りがすごい。
もはや“おもてなし”のレベルと言っても良いかも知れない。

私自身JAFは数回経験しているが、毎回感心させられる。
JAFの会員誌「JAFメイト」にも、
毎号、救援ストーリーとして載っており、
いつもその対応ぶりに感心しながら、
我がことのように読んでいる。

隊員の士気の高さといい、
救援対象者への気遣い心遣いといい、
もちろん対応の手際の良さといい、
まさにプロ集団とはこういうものかと思わせる。
ご本人の人間力は言うまでもないが、
相当に教育の質も高いのだろう。
教育は斯くあるべきというところか。

不運な事態に遭遇したが、
気持ち良い体験ができたことにほっこりした。

「プロサービス、アップしたいな、インスタへ」


使わないほど貯まるポイント



いろいろなポイントが溢れている。
しょっちゅう使うポイントから、
一回カードを作ってからそれきりのポイントまで様々。
共通しているのは、お金を使た時に貯まること。

ポイントを付与する側は、
来て欲しい、買って欲しいということで、
消費に対してポイントを付与する。
要は付与する側のメリットを、ポイントで還元する感じだ。

では昨今の定額制(サブスクリプション)のサービスには、
ポイントはどう適用されるのが妥当だろうか。
単純に考えると、サービスを購入した時点での付与だが、
これではどうも芸がない。
“使わないこと”にポイントを付与してはどうか。
サービスを使わないことは、サービス提供者にとってはメリットだ。
例えば毎日使っても良いサービスを使わなかった日には、
使わなかったことに対しポイントを付与するとか。

私は以前、某スポーツジムの会員だったが、
行く頻度が減ったので解約した。
月に7~8回行けば元を取れるはずだったが、
週2~3回が月2~3回になり、やがてほとんど行かなくなった。
ジム側にとっては私が行かないことがメリットだったはずだ。
その分会員を増やせるはずだからだ。
行かない日にポイントが貯まれば、
もしかして解約しなかったかもしれない。

ビジネスモデルの種類により、
ポイントの付与方法もいろいろ有って良い。

「ポイントを、貯めたいばかりに、無駄遣い」


お釣りの人生忘れがち

かつてブログで触れた“お釣りの人生”、
若い頃ちょっとした危ない体験をした私は、
今でもこの考え方を教訓としている。
が、人間、覚悟ができているようでそうでもない。
本来は、お釣りの人生と思えば何でもできるとか、
お釣りの人生と思えばどうってことない、となるはずだが。

忙しさにかまけて日々過ごしていると、
覚悟云々以前に、お釣りの人生だったことを忘れちゃう。
自分の人生がどうのこうのなんてことは、
頭の片隅にも出てこない。
結果として、楽な方、安易な方、安全な方に向かってしまう。

もっとも、もし頭の片隅に置いていたとしても、
立派な勇ましい判断ができるかどうかは自信がない。
弱い人間だし自分がかわいい。
しかしながら、“人のために”という要素が入れば、
そこそこは“何でもできる”気にはなる。
この先に手掛けたいソーシャルビジネスを通じて、
貢献したい人たちが待っていると思えば。

その活動を早く手掛けるためにも、
普段からもう少し思い切った行動をとらなきゃいけない。
お釣りの人生を再認識しようと思う。

「今更だが、お釣りの額が、気にはなる」


最初の方しか読まない

メールでのやり取りはビジネスには欠かせないが、
送ったメールが数行になると、
後半の部分が見逃されることが多い。
そこに依頼事項や問い合わせを記載した場合、
確認や再依頼のために更なるメールのやり取りが必要になり、
2度手間3度手間になってしまう。

心なしか、若いビジネスマンとのやり取りの時が多いように思う。
SNSの影響、特にLINEの影響が大きいのか。
LINEやTwitterのようなチャット系の媒体は、
短文のやり取りを繰り返すコミュニケーションが前提で、
1回のやり取りで完結するのはむしろ例外なのかもしれない。
その文化でビジネスのeメールのやり取りを行う。

方や、ビジネスレターの時代を生きてきた人間、
基本的には1回のレターの中に、
全て誤解のないように盛り込むことを躾けられてきた。
その前提でeメールを使っている。
文化背景が違う二人が、同じ媒体で交信しているのだ。
なかなか噛み合わないし、お互いにストレスになっているはずだ。

冒頭の問題は、これである程度説明がつく。
何行にも渡る文章は、そもそも読まれないのだ。
そう理解して気を付けなければいけない。
それにしても、ビジネス的な事故は起きないのか、
よけいな心配はしてしまう。

「文末の、敬具の価値を、再認識」



一生モノは良いことか


一昔前は、壊れないことは良いことだった。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自転車、等々何でもだ。
もちろん今でも良いことに違いない。
ただし、買う時に元々必要だったサービスや機能を満足する、
という意味では、だ。

壊れないモノを使い続ける間に、
機能が加わったり性能がアップしたモノが、
新しく出てきている可能性が有る。
しかも安価で且つランニングコストが安かったりする。
そういう新しいモノに触れる機会を失っている可能性が、
一方ではある。

壊れないモノを使い続ける結果、
新しい技術を享受できないことになる。
壊れないモノを使い続ける結果、
もしかして実質的に損をしていることも無きにしもあらずだ。
使い捨てや浪費・無駄遣いを擁護しているわけではないが、
せっかくの技術革新の恩恵を受けられないのも寂しい。

近年、シェアリングエコノミーなるものが脚光を浴びている。
買わなくて良いのだ。
“所有”しないので常に最新のモノを探して“使え”ばよい。
昔からあるレンタルサービスの幅が、
さらに広がり便利になった形態とも言えそうだが、
シェアリングエコノミーはそういう意味でも、
技術革新に加速度がついた昨今の必然か。

話を基に戻すと、
技術革新がゆっくりな頃は一生モノの価値は高かったが、
技術の進歩が速い時代には一生モノはそぐわないのかも。
そういう時代に生きて行く我々は、
買い替えに伴うリサイクルへの意識を高める一方、
シェアリングサービスを積極的に活用する賢さが
必要なのかも知れない。

「捨てられない、性分急に、変えられない」

良い友を持つ人



良い人には良い友が多いというのが、
私のこれまでの経験則だ。
逆説的には、良い友が多くいる人は良い人、
ということになるがどうだろうか。

良い人の定義は人によって様々だろう。
私にとって良い人とは、誠意をもって向き合えば、
誠意をもって応えてくれる人かな。

良い人と友達になりたい。
たくさんの良い人と友達になれば、
結果的に良い友がさらに増えることになる。
だからたくさんの良い人と友達になりたい。

そうは言っても、人を見極めるなんて簡単なことではない。
良い友をたくさん持っているかが分かれば良いが、
お付き合いしてみなければ分からない。
できるだけたくさんの人とお付き合いをして、
結果的に良い人が見つかってくるのだろう。

公私に渡りたくさんの良い友に恵まれれば、
それほど幸せなことは無い。
今更ではあるが、そう思う。

「人を見る、実は自分が、見られてる」