何故を考えることは人任せ

機械学習した結果、一番確率が高いことを教えてくれるが、
何故かは教えてくれない。
AIの欠点とも言われている。
何故かがわからないというところに、
AIが与えてくれる答にはどうしても不安を感じる。

ただ、チェスや将棋や囲碁では、
既に人間はAIに敵わなくなっているのが現実だ。
その現実を受け止めた上で、
囲碁の世界では割り切って使っているようだ。
AIはヒントを与えてくれるものであり、
棋士は何故そうなるかを考えるという。
どうもそこにAIの使い方のヒントがありそうだ。

昔から教育の場では、答を求めるのでなく何故を考えろと、
耳にタコができるほど言われてきた。
何故を考えることが大切ならばAIから答(ヒント)をもらうことは、
あながち思考力を退化させるものではないような気がする。
人があまり考えることをしなくなった昨今、
考えざるを得ない場面を与えてくれるものなのかもしれない。

何故かがわからなかった場合どうするか。
これはケースバイケースだろう。
命がかかわるとか、急を要するとか、
非常に悩ましい場合にどうするかだ。
AIに運命を託すことになるのかも。

人間の仕事を奪うと警戒されることも有るAIだが、
「答」を与えて一番大事な「何故」を人間に考えさせる、
あながち悪いツールではないかもしれない。

「アレクサよ、代わりにブログ、書いてくれ」


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「う」に点々

カタカナの「ウ」には、濁音の表現がある。
「ヴ」だ。
パソコンをいじっていていつも不思議に思っていた。
キーボードのVとUでヴが出るが、決して「う」に点々は出ない。
試しにF6を押してもヴのままだ。

50音のどれを取ってもこういう例は「ヴ」だけだ。
たぶん英語のVを表現するために作ったのじゃないかと、
ネットで調べたら案の定、外来語の表現のためらしい。
外来語なのでカタカナ表現は有るがひらがなは無しと、
説得力があるような無いような。

と思っていたら、驚いたことに、「ゔ」もあるとのこと。
JIS X 0213で採用されたとか。
いったい何に使うのだろう。
しかも、どうやってキーボードから「ゔ」を出すのか、
“どうやっても”わからない。

ちなみに、「あ」に点々も驚いた表現などで見かける。
見かけるが、やはりキーボードでは出せないし、
ネットでもまともな解説は出てない。
もし「あ」に点々が有ったとして、
カタカナの「ア」に点々は有るのか無いのか。
私見だが、発音できないから無いのではないかと思う。
変なことに気になる今日この頃である。

「ところでさ、点はいいけど、丸はどう?」



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まず面白いと思うことから

会社をやっているといろいろある。
聞いた途端にやだなと思うこともしょっちゅう。
会社をやっているからでなく、
人生そのものがそんなものだろうと思う。
順風満帆なんてことはほとんど無い。

これは受け止め方を変えなければやってられないと、
始めたのが、タイトルにある「まず面白いと思うこと」。
面白くなくても面白いと思うことだ。(高杉晋作みたいだが…)
これは結構無理しないといけない。
顔をしかめたくなるようなことも、
面白いと思わなければいけないからだ。

考えてみれば、人生全てが順調で何も無かったら、
たぶん面白くなかろう。(反論もあるだろうが…)
問題や不都合は、解決に向けたチャレンジの機会だ。
考え工夫し、根性や粘りを鍛えるチャンスだ。
何も無いより面白いはずだ。
そう思うようにしている。(時々心が折れるが…)

今のところ“無理して”思うようにしている状態だが、
やがて本気で面白いと思えるようになれると信じている。
まぁ後々経験値となって、
本当に良かったな、面白かったなと、
思えることもあるだろう。(今のところあまり無いが…)

「ウソこくな、無風がいいに、決まってら」


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信頼感



人材を扱う仕事に関わっていて感じるが、
デリケートな仕事の割に、
責任感ある営業さんが思ったより少ないように感じる。
リスクを減らすためには、信頼できる営業さんを
見つけることが重要になる。

営業担当者(個人)の信頼感だけでなく、
会社の信頼感ももちろん大事だが、
やはり直接かかわる営業担当者の信頼感がより重要だと思う。
トラブル発生時には営業担当者の立ち振る舞いが決め手になる。

その見極めは非常に難しい。
パートナー開拓ではせいぜい一時間の面談、
この一時間で良し悪しを見極めることはほぼ不可能。
リトマス試験紙が有るわけでない。
その後のやり取りで判断して行くことになるが、
見極めできぬまま何度か痛い目にも遭った。
人を見る目の無さを恥じるしかない。

見方を変えれば、私自身も常に評価されているということ。
自らも信頼に足るパートナーであることが重要だ。
どうしたら信頼感を醸し出せるか、
付き合って感じてもらうしかないかも知れないが、
こういうブログでの発信も一助になれば良いと思う。

「トラブルが、起きた時ほど、丁寧に」


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置き換わるんじゃないか



勝手なことを言わせてもらうと、
スマホはどう見ても未完成品に思える。
危険、中毒、という言葉が切り離せないことを考えると、
どう見ても未完成品だ。
ポッチャンした時の耐水性もしかりだ。

それが生活インフラ化して、
今やQRコードなどでの決済手段にもなろうとしている。
既に証明書に相当するものまで入り始めている。
マイナンバーなどが入るのも時間の問題だろう。

SNSがコミュニケーションインフラ化し始めているが、
フェイクニュースの問題などで揺れている。
危ないと思えば使わなくすればよいと思うのだが、
スマホとの連動性が強く、対策は簡単ではないようだ。
スマホが悪いのかSNSが悪いのか、鶏と卵の関係かもしれないが、
スマホがなければSNSはここまで広がらなかっただろう。

スマホが社会の不安に直結する諸問題の素因であることは、
否定できないような気がする。
そうだととすれば、罪は大きい。
早いうちに置き換えるイノベーションを期待したいが、
それまでは残念ながら便利で手放せない。

「未完成?、そんならお前、作ってみろ!」
もう一丁、
「あほ抜かせ、作れないから、言えるんじゃ」


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初心忘れないで


ネットショッピングやゴルフ等でお世話になるのが宅急便。
私も大変お世話になっている口だ。
今は当たり前になったが、画期的なアイデアサービスだと思う。
特に外出が困難な困っている人には欠かせない。
良い点は数え上げれば切りがない。

ちょうど雑誌で特集が組まれていた。
宅配クライシスとも言うべき状況の特集だ。
多少批判的な論調には思い当たるところがある。
某老舗大手の配達が指定の時間を大幅に越えたことがあった。
5分や10分ならまだしも40分、遅いですねの一言を言ったところ、
「1時間以内ですから!」と、
権利と言わんばかりの口調で言い返された。
んっ、何か変だぞと違和感を感じつつも、
「そうですか」と引き下がった。

サービスグレードが落ちたのは事実、
そこへの申し訳なさが先に来ないのかな。
サービスの提供者としての教育が追いついていないのかも知れない。
このまま手を打たないと、
ボディーブローのように、あるいはシロアリのように、
だんだん屋台骨を揺るがすようになるんじゃないかと心配になる。
支持者は一度失うとなかなか返ってこない。
奢れるものは久しからずだ。

それにしても、どう考えても便利過ぎる。
過剰サービスが過剰要求を呼んだのか、
その逆かも知れないが、便利過ぎる。
私の「遅いですね」発言も、便利さへの甘えか。
反省、反省。
サービス開発を自ら行なった便利の仕掛人の、
初心は忘れないで欲しい。

「きりがない、段ボールの山、またできた」


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不思議な数秒



妙な体験をした。
一瞬、ほんの数秒だが、不思議な幸せな感覚を覚えた。
一瞬の幸せ感、それも突然やってきた。
駅から自宅への帰り道だった。
何とも言えない幸せ感に包まれたのだ。
確かに瞬間的に感じた。

その日に何か特別に良いことがあったわけではない。
普通の嬉しさとは違う。
美味しいものを食べた時や、
応援していたチームが勝った時とか、
そういうのとはまた違う。
力がふっと抜けるような、他の満足感とは比較できない。

説明のしようがない感覚的なことなので、
ブログにするのはちょっと躊躇した。
文章にすることで感覚を思い出せるのではとの期待もあり、
また、記憶(記録)にとどめておきたい気持ちも手伝って、
敢えてブログにしてみた。
読んでも伝わらないかも知れないがご容赦を。

人生の満足感として求めるものは、
もしかしてそういう気持ちかも知れない。
幸せな気持ちになれることが幸せなのかもしれない。
数秒でも味わえたのは幸せだ。

「夢だろか、違うな多分、ボケだろう」


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時間をつぶす


人間が仮に100歳まで生きるとして一生で使える時間は、
単純計算では 24時間×365日×100年=87万6千時間となる。
だが稼働時間という意味では、
物心ついてから動けなくなるまでと考えると75年ぐらいか。
しかも寝る時間や食事、入浴などを考えると、
実質的には1日あたり12時間ぐらいしか有効時間はない。
そうなると32万8千時間に減ってしまう。

この与えられた時間はどう使おうが自由だ。
自由だが使った時間は返ってこない。
できるだけ無駄にはしたくないものだ。
そうは言っても無駄な時間の定義は人それぞれだし、
歳と共にも変わって行く。
残念ながら時間が貴重だと気がつくのは、
だいたいは歳をとり残りが少なくなってからというものだ。

私も若い時、有り余った(と思える)時間をどうつぶすか、
真剣に悩んだことも確かにあった。
パチンコで相当の時間(+お金も)をつぶしたりもした。
今思えばどれだけの無駄だったか後悔している。
お金では買えない大切なものだと今だからこそ思う。

昨今は時間をつぶすツールが氾濫しているように思えて残念だ。
無駄にできるのは若い時の特権にしても、
四六時中ゲームなどでつぶすのはどう考えてももったいない。
そういうツールを作ること自体が罪なことに思えるのだが…

「無理だろか、過去に戻って、やり直し」


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決算

6月決算の我社、9期の決算報告を先週受けた。
具体的な数字を見るとやはり気が引き締まる。
8期からやや持ち直しのサインが出て、
9期もその傾向を維持できたことは良かった。

創業以来、傾向的には右肩上がりではあるが、
6期、7期は失速して前期割れしている。
それでも8期(2期前)からの事業転換がやや著についた形で、
売上だけとってみると前期は過去最高で着地した。
利益がついてこないのが大問題ではある。

今期はもう一段の事業転換を思い描く。
これまでの傾向を維持させれば利益もついてくるだろが、
ちょっとスピード感が物足りない。
もう一段の思い切った事業転換が必要だ。
したがって、利益へのこだわりはもう少し我慢かなと思う。

そうは言っても、早めに累損を解消したいのは山々だ。
10期突入を契機に大きく変わったと、
後から思えるような事業運営を心掛けたい。
前例や常識にはこだわらず、リスクを取り、仲間を大切に、
だけど地道に、歩んで行きたい。

「見たくない、見たくないけど、見にゃならぬ」



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最初からもっと…




弱い自分、消極的な自分はたまに出るが、
何でもやってみるという基本的なスタンスは、
少しは定着しつつあると思う。
これ、何のことはない、
そうせざるを得ない立場になっちゃっただけだ。

要は置かれた現在の立場がそうさせているのだが、
やってみなければ何も進まない。
だからやらざるを得ないだけだ。
今思うと、この当たり前のことが、
大きな会社の組織の中では当たり前じゃなかった。
最初からこの姿勢でやっていたら、
もっといろいろなことができたんじゃないかと、
ちょっとだけ後悔する。

うん十年このスタンスで取り組んでいたら・・・
ただ、それが分かって実感した今だからこそ、
残りの人生で活かせるのも事実だ。
活かさない手はない。

失敗しても何しても、やってみないよりまし。
「失敗はやった人にだけ与えられるご褒美」のスタンスで、
何でもやってみようと思う。

「失敗が、ご褒美ならば、成功は???」


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続けようと思う



先日、NICCO(日本国際民間協力会)の職員の方にお会いした。
時々お話しする機会があるが、今回で3~4回目ぐらいだ。
ピュアーな姿勢にはいつも感心させられる。

NICCOさんとのご縁は、東日本大震災の寄付を始めたところから。
微力ながら東日本復興を10年間は支援するという気で始め、
賛助会員になってからは5年、
個人ベースでやっていた時期を含めると、
7年ぐらいになるだろうか。

今後もできる限り長く続けたいと思う。
ただその後、熊本の地震もあり先日の豪雨災害もあり、
また日本だけではなく海外にも苦しむ人たちはたくさんいる。
限られた資金をどこに振り向けるかは、
現場を知っているNICCOさんに一任するのが良いだろうと、
完全に一任することにした。

我社がこのような活動を続ける理由は、大きく2つある。
ソーシャル事業の先取りとして、
考え方、やり方、ビジネス感覚の取り込み方等々、
勉強させてもらえるという意味。
もう一つは、(生意気だが)ノーブレスオブリージュ精神への共感。
苦しんでいる人より少しでも恵まれていると感じる限りは、
身の丈に合った支援を続けたい。

京都方面の立派な会社に交じって居心地は良くないが、
ある意味、我社の存在価値の一つと考える。
会社が続く限り、可能な限り、続けようと思う。

「気持ちしか、我社が誇れる、とりえ無し」


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頑張れ東京都


東京オリンピックまであと2年を切った。
そう聞いて、私が最も関心を寄せるのは受動喫煙対策。
先般、成立した受動喫煙防止法、
成立したことは半歩前進だが、だいぶ骨抜きにされたらしい。
結果、半分以上の飲食店が規制対象外、路上も規制対象外、
受動喫煙が大きな問題なのに、全く持ってナンセンスだ。

“中小の飲食店の保護”とな?
本気でそう思っているのか聞きたい。
タバコの煙で苦しんでいる人たちにはどう説明するの?
子供を含むどれだけ多く人が、
煙害にさらされ続けることになることか。

骨抜きの陰には愛煙家与党議員、しかもジジイ連中だ。
(私自身ちょっと若めのジジイゆえ、この表現を許して頂きたい)
もちろん良いジジイもたくさん居るが、
始末の悪いジジイは早く退場して欲しい。
どこぞのどなたかが言った「こんな人たち」が、
国政の一翼を担っているわけだ。
ささやかな抵抗だが、私はタバコ吸う議員には投票しない。
若い人の喫煙率が下がっているそうなので、
議員も同じ傾向であることも期待したい。

そんな中、東京都の条例が一歩進んでいることに、
多少なりとも救われる思いだ。
是非先進的な役割を果たして、実績を作り国を動かして欲しい。

「いぶされて、燻製みたいに、なってまう」


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AIは賢者か



「愚者は経験に学び、賢者 は歴史に学ぶ」と言う。
AIは過去のデータを元に答えを探る。
過去のデータは細切れであっても、歴史の集合には違いない。
AIは歴史に学んでいる。

異なる点はそのデータ(歴史)の数。
圧倒的多数の歴史の集約を参考にできる点だ。
これまでも歴史や過去の事例を参照することは多かったが、
人間の記憶や探す能力は所詮AI(コンピューター)にはかなわない。
テクノロジーが圧倒的多数のデータ分析を可能にした。
そう考えると、まさにAIは賢者だ。

ただ、過去のデータが無い場合は、
AIにはどのくらい力があるのだろう。
新しい分野を切り開いていくような場合、
類似データが有れば良いが無ければどうだろう。
まさかサイコロや乱数表を使うわけには行くまい。
人間とAIの知恵比べになるのだろうか。

そこまで考えた時、賢者は誰なのだろう。
過去のデータの活用はAIで、
類似データの無い新しい分野の開拓は人間?
そんなに簡単な棲み分けではないはずだ。
賢者は誰だろう。

「AIに、おもろい川柳、できるかな」


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一区切りの10期目

6月が終わり7月、我社とうとう10期に入った。
9期の着地点は、税理士さんの決算集計を待たねばならないが、
おおよその見当はついている。
“悪いこと”は忘れて先を見据えようと思う。

とは言え、大きなところの反省はしておくことは大事だ。
細かいものはきりがないので省略だ。

・ダメ元ではダメ
 気を楽にする意味も有ったが、何かとダメ元と割り切り過ぎた。
 もっと貪欲であっても良かったかもしれない。
 ダメで元々とは、割り切っているようで逃げているのだ。

・人も仕事も生もの
 人材と仕事のマッチングを行うにあたり、
 人材はその営業状況、仕事は充足状況の最新状況を如何に把握するか、
 この課題が克服できなかった。
 旬な期間はほんの2~3日だが、最新情報が分かれば旬な期間は伸びる。

・アイデアのプロデュースにはプロデューサーが必要
 思いつきやアイデアを実行するにはプロデューサーが必要だ。
 みんな同じようなことを考えても、形にできるかどうかは
 プロデューサーに負うところが大きい。
 そういう目でもっと人材を探すべきだった。
 
良いこともいくつかあった。
年頭に決意した「出来るところから始めよう」は、意識して行動している。
派遣事業の更新ができ、派遣を継続できている。
友軍ならぬ友社が何社かできた。連携を深めたい。

10期が良い期でありますように!

「新たな期、会社よちよち、俺ヨボヨボ」

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とるか、とれちゃうか




現在最先端と言われている分野というと、
AI、自動運転、VR/AR、ドローン等々、数え上げたらきりがない。
うちの会社でもこれらをビジネスに結びつけたいと思って、
あーでもないこーでもないともがいている。

IoTもその一つだ。
世の中にはデータ収集できるセンサーが溢れている。
スマホ、パソコン、販売機、POS端末、自動車と、
何でもデータ収集の端末やセンサーになる。
特殊なデータを集めるのでなければ、
今更新しくあちこちに設置する必要もない。

ところでこのデータ収集、
目的を持って収集するデータはそれとして、
目的以外にも自然にとれちゃうデータもある。
むしろこちらの方が膨大だ。

このとれちゃうデータ、集まっちゃうデータをどう利用するかが、
これからは非常に重要になるような気がする。
思いがけない面白い利用方法が見つかったり、
全く常識を越えた分析ができたりするんじゃないかと。
科学的な発明なども、偶然の発見や失敗から生まれることが多い。
データもまた然り、、、かな。

活用しても良いデータを選り分けてどう活用するか、
そこは知恵比べだ。
私じゃ無理なので、若い人の柔らかい頭を借りたい。

「我がデータ、せっかく取っても、価値はゼロ」


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前株と後株



うちの会社は前株である。
私のイメージでは、大きな会社や重厚長大な会社は後ろ株。
実際、ベンチャーは前株が多いような。
拘ったわけではないが、ベンチャーっぽい前株とし、
株式会社クリーバルとした。

設立の際、ネーミングにはいろいろ悩んだ。
短く、言いやすく書きやすく、可愛くて、
しかも経営方針を端的に表せる名前を考えた。
更に、アルファベット&アイウエオ順で、
できるだけ早い方だが先頭にはならないよう、
“A”や“ア”で始まる言葉は避けた。
考えた末、クリーバル(CreVal:Create Value=価値を創造)
という社名を創った。

その想いを込めた社名を真っ先にアピールするには、
本当は後株が良いのかも知れない。
だが後株は大きな会社のイメージ。
ベンチャーをアピールしたい気持ちが勝った。

ということで、早く会社を大きくして、
その時は後株に変えようと思う。
言うことだけは大きいと、
(チコちゃんに)叱られそうだが。

「何事も、夢は大きく、気もでかく」



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6月を乗り切る



サッカーワールドカップにいよいよ日本が登場する。
最悪期から上昇傾向が見られたパラグアイ戦、
何となく期待を持たせる状況にはなってきたが、
さて本番はどうか。

日本時間ではいずれの試合も遅い時間だが、
4年に一度の戦い、見なければなるまい。
とりあえず6月の3試合、体調を崩さないよう乗り切るしかない。
負けると体調ならぬ気分が落ち込むので、
何とか頑張って欲しいものだ。

7月は6月の結果次第だが、
日本が敗退したとて、すごいマッチアップが続くだろう。
サッカー好きの身としては寝不足が続くに違いない。
どうせ寝不足になるなら、
日本を応援して寝不足になりたいものだが。

今年から3年間はGWならぬGY(ゴールデンイヤー)。
来年はラグビー、再来年はオリンピックと続く。
幸いにも日本開催なので、
時差は無く寝不足の心配はなさそうだ。

「プレッシャー、感じず伸び伸び、プレーしろ」


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成長しなければいけない?

ビジネスの世界に身を置く者の一人ではあるが、
経済成長って本当にしなければいけないのかと疑問に思う。
経済成長はGNPとかGDPの拡大を指すそうだが、
前者が国民総生産、後者が国内総生産らしい。
いずれにせよ国民全部でどのくらい生産が増えたかということだ。

そうだとしたら率直な疑問は、
人口が減るのになぜ拡大しなければいけないのかということ。
需要が減れば生産する量は減ってもいいんじゃないかと。
国際競争力維持のため(企業や産業が淘汰されないため)、
という理由もあるのかもしれないが、
それは別の指標で別の目標とすべきなように思う。

今の経済成長目標って、人間の欲望の投影になってないか。
生活水準は一度上げたら落とせないし、
物欲やら快適性やら楽しさやらと、
欲はキリがないのでどんどん上を目指したくなる。
それを経済成長と見ているとしたらちょっと寂しい。

欲が度を越して無駄となっている。
贅沢や無駄をなくしたら、
そもそも今の規模の経済ほどは必要ないんじゃないか。
食品ロスやら使い捨てやら過剰機能やら、
何かおかしい。

以前にデフレに対する疑問で触れたが、
イノベーションなどにより価格が下がったら、
それって経済を後退させることなの?
生産性が上がり、コストが下がり、値段が下がったら、
結果として数字的には経済が後退するの?
なんか変だよ。

本当に目指すべき数字や目標は、何か他にありそうだが。

「経済の、成長と共に、腹が出る」


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最初から有ると


携帯やスマホの普及で生活環境がガラッと変わった。
いつでも個人に直接連絡が取れるし、
待ち合わせもめちゃめちゃ楽になった。
無かった時代から有る時代への変化の当事者だから、
便利になったことを実感する。

スマホ以外でも、今までに無かったものが発明されたり、
出来なかったことが出来るようになったりすると、
すごくありがたく感じる。
ところが最初からそういう環境に産まれた人間には、
有ることや出来ることが当たり前で既得権のようなものだ。
変化の当事者世代はしだいに少数派になり、
既得権世代はどんどん増えて行く。

規制や規則も同じこと。
規制を緩和することは、許可範囲が広がることだが、
やがて権利化する。
マナーにも当てはまる。
マナーは一般的には多少窮屈なものだ。
一旦容認(あるいは黙認)され始めると、
やがて容認が前提となり、どんどんマナーは廃れて行く。

マナーには背景や美学も有ると思うが、
世代が日々変わって行く以上、
個々のマナーが廃れていくのはやむを得ないかも知れない。
ならば、形ではなく心の部分でマナーを育てることはできないか。
マナーには“人に迷惑がかからないように”とか、
“人に嫌な思いをさせないように”という根柢の意味があるはず。
個々のマナーの良い悪いでなく、
この根柢の部分を、心に訴えることはできないだろうか。

自分の欲求がマナーに勝りそうになった時、
“他の人は嫌な思いをしないか”と一瞬でも考えられたら、
時々の文化に関わらず新しいマナーが生まれるかも知れない。

「ハチ公の、場所が分からず、ナビを見る」


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小さなことに拘る



政治、行政のシステムが違うので単純比較はできないが、
日本と中国では新しいことへ取り組むスピード感が違うようだ。
日曜日のの新聞、
自動運転や無人店への取り組み状況が載っていた。

中国では2035年に自動運転の新都市を作るという。
その都市の中では自動車は全て自動運転になるそうだ。
一方の無人店、日本では実証実験段階の様だが、
中国では既にどんどん広がっているらしい。
先の技術への対応姿勢が何とも対照的だ。

事故もゼロではないだろうし、
お店で代金が足りないことも起こるだろう。
それでも多少の欠点には目をつぶり、
とにかくやってみるというのが中国のスタンス。
政治主導(党主導)だからできるのだとは思うが、
アメリカだって日本よりは遥かに動きは軽い。

日本は重箱のすみをつつくように細かいことにまで拘り、
慎重居士でなかなか始まらない。
石橋をたたいて渡らない(あるいは、石橋をたたいて割る)。
特区はどうなっちゃったんだ。
がんじがらめの規制に、風穴を開けるんじゃなかったのか。
これもモリ・カケの影響か。

国際間の競争が激しいこのご時世に、
あまりにも動きが重い国に根を下ろす会社は、
いつしか無くなってしまうだろう。
もっとも、事故の電車を、
ろくろく検証も終わらないうちに埋めちゃう国も、
それはそれでどうかと思うが。

「岩盤に、ドリル刃こぼれ、芯は折れ」


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